空に浮かぶ夢〜入道雲に乗りたかった子供の頃の思い出〜
入道雲と私のちょっぴりおかしな空想
幼い頃の私は、空に浮かぶ入道雲に心を奪われることがよくありました。
夏の空にどっしりと構えるその姿を見つめながら、頭の中はいつもとびきりの妄想でいっぱい。
だって、あの雲、ソフトクリームか綿菓子にしか見えなかったんですから!
「うわぁ、あの雲、おいしそう!」
そんなふうに思いながら、じっと空を見上げていました。
雲の白さとふわふわ感が、どうしても甘いお菓子を思い起こさせたのです。特に、夏の暑い日に見る入道雲は、まるで巨大なソフトクリームが空に浮かんでいるようで、見ているだけでひんやりとした清涼感を感じました。
また、時には、空の上に巨大な帝国があるのではないかと真剣に考えたこともありました。
「あの雲の中には、空の上に住む人たちがいて、きっとみんなソフトクリームや綿菓子を食べているんだ!」
そう信じて疑いませんでした。
実際、私は本気で「どうしてあの雲に乗れないのか?」と思っていたのです。大人たちが「雲は乗れるものじゃないんだよ」と言っても、納得がいきませんでした。
だって、見た目はふわふわで、柔らかくて、まるでベッドのように気持ち良さそうじゃありませんか?
なぜ、あんなにふわふわなものが触れられないのか、幼い私には理解できなかったのです。
入道雲との会話
ある日、どうしてもあの雲に乗りたくて、私は密かに作戦を立てました。
どうやったら雲に乗れるのか、真剣に考えたのです。
まず、雲に近づくにはどうすればいいのか?
ふと浮かんだのが「凧上げ」です。
凧を空高く上げて、その糸をつたって登れば、雲にたどり着けるんじゃないかと思ったのです。
さっそく、家にあった古い凧を引っ張り出し、庭に飛び出しました。
風は強めで、凧は勢いよく上がっていきました。
心の中では
「もう少し!もう少しで雲に届く!」
とワクワクしていました。
けれど、現実はそう甘くはありません。
凧が雲に届く前に、私の腕力が限界を迎え、凧はあっけなく墜落。
空に届くどころか、隣の家の屋根に引っかかってしまいました。
その後も、「どうやったら雲に乗れるのか」という疑問はしばらく私の中でくすぶり続けました。
あるとき、祖父に
「雲に乗りたいんだけど、どうすればいい?」
と真剣に尋ねたことがあります。
祖父は私の質問にニコニコしながら、
「雲は空気でできてるんだ。だから乗れないんだよ」
と教えてくれました。
その説明を聞いても、やっぱり納得がいかず、
「でも、雲はふわふわで柔らかそうだよ?」
と食い下がりました。
すると祖父は、
「そうだな、でも雲の上に座るには特別な魔法が必要なんだ。空の魔法使いだけができることなんだよ」
と、まるで童話の中の話のように答えてくれました。
その瞬間、私は
「そうか、私はまだ魔法使いになっていないから雲に乗れないんだ!」
と妙に納得してしまいました。
巨大帝国と空の国
もうひとつ、私の頭の中を支配していたのが、
「雲の上に巨大帝国があるに違いない」
という考えです。
入道雲が空に浮かぶ姿を見ていると、その中にはきっとかわいいお城や大きい街が広がっているのだろうと想像していました。
雲の上に住む王様と女王様がいて、雲を動かして世界中を旅しているんだ、なんてことまで考えていました。
特に夏の夕方、太陽が沈みかけた時に見る入道雲は、その巨大帝国を想像するのにぴったりでした。
雲がオレンジ色やピンク色に染まり、まるで王様の城が夕日に輝いているかのようでした。
「きっとあそこでは毎日お祭りが開かれていて、みんなで踊ったり、歌ったりしてるんだろうなぁ」
と夢想していたのです。
でも、ふと疑問に思うこともありました。
「どうしてあの帝国は空にあるの?どうやってみんなそこに行くの?」と。すると、自分なりの答えが浮かんできました。
「きっとあの雲は船なんだ。そして、風が彼らを運んでいるんだ。だから、地上の人たちはその船に乗れないんだ!」と。
そんなことを真剣に考えていた私は、いつか自分も魔法使いになって、その空の帝国に招待される日が来るんだと信じていました。
大人になった今だからこそ
あれから年月が経ち、大人になった今でも入道雲を見ると、つい子供の頃の記憶がよみがえります。
もちろん、今は雲に乗れない理由も、空に巨大帝国が存在しないこともわかっています。
でも、あの頃の純粋な好奇心や、ちょっぴりおかしな空想が懐かしくてたまりません。
子供の頃の私は、入道雲を見上げるたびに、いつも何か特別なものを感じていました。
それは夢や希望、そして少しのお菓子の甘さを含んだ空の魔法でした。
今でも夏の空に入道雲を見ると、少しだけあの頃の感覚が戻ってきます。
「あの雲は・・・ソフトクリームみたいだな」
と微笑みながら、ふと「あの雲に乗れたらいいのに」と思うこともあります。
もちろん、現実には無理ですが、心の中ではいつでも雲に乗れるような気がしてしまうのです。
あの頃の私が感じていたことは、今でも大切な思い出として心の中に残っています。
入道雲に憧れて、空の上に帝国を見たあの頃。
もしかしたら、私たちが大人になると忘れてしまいがちな大切な何かが、そこにはあったのかもしれません。
入道雲とともに
だからこそ、今でも入道雲を見ると、少しだけ時間が逆戻りしたような気持ちになります。
そして、
「もしあの雲に乗れたらどこに行こうかな」
と、子供の頃のように思いを巡らせます。
空の帝国には行けなくても、少なくとも空想の中では、どこにでも行けるのです。
そう考えると、夏の空に浮かぶ入道雲は、私にとっては特別な存在です。
まるで大きなソフトクリームや綿菓子のように、見るたびに心が温かくなる、そんな存在です。
これからも、入道雲が空に浮かぶたびに、私はきっと思うでしょう。
「あの雲に乗って、空の上でおいしいソフトクリームを食べてみたいな」と。
そんな想像をしながら、ちょっぴりおかしな空想にふける時間が、今でも私にとって、何よりも大切な時間です。
大人になっても消えない空想
大人になると、どうしても現実的な考え方が染みついてしまい、子供の頃のような無邪気な空想をすることが少なくなります。
でも、入道雲を見るたびに、あの頃の私が心の奥で目を覚まし、
「あの雲に乗ってみたい!」
きっと、雲の上には見たこともない景色が広がっていて、空気は澄んでいて、静かな時間が流れているのでしょう。
そして、時折ふわふわと浮かぶ他の雲とすれ違いながら、空の旅を楽しむのです。
そんな空想にふけるとき、私は思います。
「大人になったからといって、空想することを忘れてはいけないんだな」と。
どんなに現実的な日常に追われていても、心のどこかに空想の余地を残しておくことが、日々を豊かにする秘訣なのかもしれません。
現実の中にある夢
日常生活の中で、私たちはどうしても忙しさや現実の厳しさに追われてしまいがちです。
でも、ふと立ち止まって空を見上げると、入道雲がそっと微笑んでいるような気がします。
そして、その雲が私に語りかけるのです。
「まだまだ、夢を見る余地はあるよ」と。
現実には叶わない夢でも、心の中でその夢を楽しむことは自由です。
そして、その自由な空想が、私の日々に彩りを加えてくれます。
空を見上げるということ
子供の頃、入道雲に乗ることを夢見たあの夏の日々。
それは、私にとって何よりも特別な思い出です。
あの頃の無邪気な心と、大人になった今でも持ち続けている空想の心。
その二つが重なり合い、私は今でも空を見上げるたびに新たな発見と喜びを感じます。
これからも、私は空を見上げるたびに、入道雲に心を奪われることでしょう。
そして、子供の頃に感じたあのワクワクした気持ちを思い出しながら、ほんの少しだけ空想の世界に足を踏み入れるのです。
現実の中にありながらも、心はいつでも自由に飛び回れるのだということを、入道雲が教えてくれているような気がします。
次の夏、またあの入道雲が現れるのを楽しみに待ちながら、今日も空を見上げてみるのです。