珈琲一杯の余韻を忘れずに生きる
どんなに忙しい時でも、珈琲をゆっくり淹れて、その香りを楽しむこと。一緒にお菓子をつまみながら、この世界を楽しんでいる感覚を取り戻すこと。これが私の幸せでありモットーです。
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休日に一人でカフェ巡りをすることが趣味なんですよね。
前回までの記事で、自分の生い立ちを満足いくまで綴ったので、やっと目当てとしていたカフェと本に関する記事を書いていきたいと思います。
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好きなカフェメニューはスコーンとキッシュ。
紅茶より珈琲、珈琲よりカフェオレ。
個人経営のこじんまりとした喫茶店で一人本を読むことが好き。
珈琲の銘柄には詳しくありませんが、カフェ独特の落ち着く雰囲気やインテリアが大好き。
お気に入りのカフェにて、フルーツサンドとコーヒーのセット。(¥850)バナナサンドには、隠し味としてザクザクとしたピーナツバターが塗られており、塩気とサクサク感が絶妙なバランスでした。美味。
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雨の日。最近の興味は専らストア派哲学で、この日もセネカの「人生の短さについて」を読んでいました。
人間というのは多忙により自分のための人生を生きていない、つまりは人生を短くしているという内容のお話。
人生は短いと嘆く人、それは私たちが時間を無駄遣いしているからに過ぎません。生きるということは、閑暇の中にあるということだとこの本は言うのです。
多様化した情報社会において、仕事で忙しく過ごしている人は改めろだとか、流行を追うのは悪だとかそんなことを言うつもりはありません。
それどころか、将来を見据え、世界を切り開いてくれた人達がいるおかげで私のような凡人はぬくぬくと生きていられるんだと思います。
ただ、セネカをはじめとするストア派の哲人たちは、自分の自由になる時間は自分のために使うべきだと言うんです。
未来ばかりに目を向けていると、今という時間はあっという間に過ぎ去ってしまいますよね。
例えば、「あと○○年働いたら転職しよう〜」というのは、今という時間の無駄遣いだと思いませんか?自分の人生を浪費していませんか?
明日死んだらどうするんですか?
これから起きることはみな不確かです。だから今を見つめ、自分のためだけに時間を使うべきだということです。
私はカフェでコーヒーを飲んでいると、多忙から解放されて自我を取り戻す感覚を覚えます。この世界に生まれて良かったなと。
普段一分一秒の締め切りに追われる仕事をしているので、休日にぼーっと過ごすこの時間によって一週間の英気を養っていると言っても過言ではありません。
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我々現代人に、未来のことを考えずに生きろというのは難しい話だと思います。しかしながら、一日のうちのほんの一瞬でも、自分のために生きてみませんか。あなたの好きなことでいいです。何にも影響されないまっさらな気持ちで、世界に存在しているという感覚を思い出してほしいです。
▼今回の参考文献
人生の短さについて 他2篇 (光文社古典新訳文庫)
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