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AC長野パルセイロに彩られた風景


#J3推し

僕がパルセイロについて覚えている一番古い試合は、長野パルセイロが当時”地獄の地域リーグ”と呼ばれていた北信越リーグ時代に見に行った試合です。(当時の北信越リーグは、Jリーグ加盟を目指しまくっていた長野パルセイロ、松本山雅、ツエーゲン金沢に加えて、JFL加入を目指しまくっていたジャパンサッカーカレッジが優勝を争う異次元のスーパーリーグだった)

当時、暇と時間を持て余しまくっていて、何かしら生サッカーを見たいと思った僕がサッカー不毛の地・長野県でサッカーを見る方法を探した結果、パルセイロのホームである南長野運動公園が一番近く、『Jリーグウイニングイレブンタクティクス』でやたら強かった宇野沢祐次や元甲府の土橋宏由樹ら元Jリーガーが何人か在籍しているということを知り、本当に単なる興味本位で見に行ったのが始まり。

人生初となる地域リーグの試合観戦は、屋根も無く照り付ける太陽の下、メインスタンドというより観覧席のような長い一列の座席に座り、ゴール裏は芝生広場のようで、なぜかパンダの着ぐるみを着た人が応援団に混ざってたのが印象的だった。

そこで僕は一人の選手から目が離せなくなった。

土橋宏由樹。

彼が中盤でボールを持つ姿がとにかくかっこよく、魅せられ、虜になった。

ずり下げたソックス、右利きなのに左足でもコーナーキックを蹴る姿、パスを出す時のやや膝を曲げた猫背なキックフォーム、すべてが僕にとって衝撃的に衝撃だった。

その後、何回かパルセイロを見に行くのだが、正直パルセイロではなく土橋を見に行ったと言っても過言ではない。(北信越リーグ時代のパルセイロは普通に頭一つ抜きんでていたため、勝つのが当たり前みたいなところもあった)

そんなこんなで北信越リーグのパルセイロを追いかけ始め、藤田信とハイタッチしたり、土橋に応援の手紙を書いたり、当時行われていた入団トライアウトの様子を見学しに埼玉スタジアム第4グラウンドまで行ったりするのだが、まあJFL昇格が遠い遠い。そのうち僕も東京に引っ越すことになり、東京暮らしの中で次第にパルセイロを追いかけなくなっていた。※その間にパルセイロはJFL昇格とJ3加盟を果たした。

その後は、気がつくとJ2との入れ替え戦に進んでいたということでカマタマーレ讃岐との入れ替え戦を今は無きフットニック中野店まで見に行って負けた悔しさをキッカケにパルセイロ熱が再燃し(例の炎上してしまったフットニック中野店元店長とはこの後意外な形で再会を果たすこととなる)、2014年~今に至るまで毎年ホーム開幕戦を長野まで見に行ったり、昔ホーム開幕戦で行なわれていた幻のイベント・福男レース(長野Uスタジアムのピッチ外周を走り1位を争う一般人参加型イベント)に2年連続で参加し見事優勝を勝ち取り大橋さんからインタビューを受けたり、台風が近づく東京夢の島競技場でのFC東京U22戦を大雨の中観戦し負けたり、磐田との天皇杯でJ1のレベルを目の当たりにしたり、トレーニングを見ようと思って開始時間の10時に現地に行ったらなぜかやってなかったり、本職サイドバックの西口がなぜかセンターバックで起用され相手の大型FWに高さで競り負けて失点するのを見たり、パルセイロがクラブ史上初めてJ3最下位になるのを見たり、勝てば昇格に大きく近づく岐阜との試合で岩沼がゴール前のビッグチャンスで蹴り損ねるのを眼前で見たり、勝てば昇格だった岩手戦で先発した遠藤元一が右サイドバックで恐ろしいミスをぶっかますのを見たり、横山さんが試合開始10分でベンチにどかっと座り込んでしまう様子を見たり、本当に色んなものを見てきました。

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※コロナ禍前のゴール裏の様子。

確か僕が見始めた頃のパルセイロはパスサッカーを標榜しており土橋を中心としたパスワークと攻撃的サッカーをやっていたのですが、気が付けば今じゃJ3で一番ファウルが多いともいわれる武闘派サッカーに転向しています。どういうことでしょうか、まるで遠い日の甘酸っぱい思い出のようです。そういえば中学生の頃僕が通っていた学校の地味で無口なクラスメイトだったT君が卒業後ピアスとネックレスを着けて可愛い彼女を連れてジャスコにいたのを見かけたことを彷彿とさせるくらいの変貌を遂げています。2022シーズンのシュタルフパルセイロは今年も昇格は無理そうなので、すでに来年に向けてシュタルフ監督と強化部がどんな策をとってくるのか今からとても楽しみです(現実逃避)。

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※パルセイロを追い掛けすぎた人の末路。

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