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偽サラリーウーマン。

休日にどう休むかによってサラリーウーマンとしての生活の豊かさが大きく変わる。どう遊ぶか、ではなく、どう休むか、だ。9月は夏休みをいただけたこともあり、日勤はたったの15日だった。それでも生活に困らないほどの給与がもらえるのだから「正社員」はなかなか素晴らしいと思う。正社員至上主義者、嫌いだったのになぁ、それでもやっぱり令和の時代に働く一人の女として思うことはある。たしかに、貴重な人生における多くの時間と労力を労働なんてものに費やして、それに蝕まれる人生なんてまっぴら御免だとは思う。ただそれよりも、食わず嫌いでサラリーマンを馬鹿にするダサい大人になりたくなかった。

「限りある人生の大部分を仕事なんかに費やしたくない!私/俺にはもっとやることがある!」と嘆いているやつほど日中はスマホゲームをし、安くて大盛りの刺激物で腹を満たし、オンラインで繋がれる友達と夜中までゲームをして、次の日は昼まで寝ているような生活をしている。アンチサラリー(ウー)マン、アンチ労働を主張するひとの気持ちもわかるけれど、「じゃあ代替物は?」と問うと何も出てこない。デカい夢とか胸を張って言えるやりたいことがなきゃダメだ、とは思わないが、スマホゲーム以外に特に何もやることがないなら世のため人のために働いているサラリー(ウー)マンの方がよっぽど「貴重な人生の貴重な時間」を有効活用しているのではないか、と思うわけだ。わたしは同じアンチ労働者でも、人生なんて貴重でもなければ時間なんて腐るほどあるけど私/俺は働かねぇよ、と言っているやつの方が好きになれる。「貴重な人生の時間」を労働には費やしたくないけどスマホゲームには惜しみなく使います、そして労働に蝕まれて死んだ顔をしたサラリー(ウー)マンを揶揄するなんて、それはとても陳腐なわがままですよね。



わたしはたぶん「普通に働くサラリーウーマン」には(泣きたくなるほど)向いていないので、何食わぬ顔をして普通に働いている同僚のことを無条件に尊敬してしまう。「役員」の肩書がついている年上の男性を、「役員」というだけで敬うことが嘘でもできない。考えれば考えるほどサラリーウーマンに向いていないことがわかる。「いたって普通の新卒1年目」を装うことだけで精一杯で、仕事なんて二の次だ、と感じることもある。正直仕事そのものよりも装うことがストレスだったりもする。自販機の裏で中間管理職を怒鳴る某役員なんてさっさと辞めればいいのに、と思う。



数年後には会社に属さなくても食べていかれる人生設計をしていかねば、と思いながら、それでも来月生きるためのお金は必要だし、いまの会社や仕事から学ぶことはたくさんあるので、いまのわたしはいまやるべきことをやる。やいやい言っているが、それだけのことだ。いまある幸せを噛みしめて、貪欲に生きたい。


それではまた。




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