フィンランドにおける聴覚障害者支援事業
こんにちは!
耳が聴こえないまっこ(Makko)です!
”原点に戻りたい”気持ちになったので、今回は自分にとって「転機」となったきっかけの1つ、フィンランド留学で学んだことを紹介します。
文化や食生活、税金については既にネットでたくさん出回っているので…!
聴覚障害者の生活状況など、広く知られていないことを中心にシェアしていきます。
【フィンランドにおける聴覚障害者支援事業】
フィンランドには世界中の聴覚障害者が入学できる全寮制の学校があります。
年齢や国籍は問わず、対象は主に外国人(フィンランド人以外)でした。
事情があって自国では生活できなくなった聴覚障害のある移民の人々が、フィンランドに定住する前提でその学校に入寮していました。
私が留学していた期間には、
イラン、イラク、ミャンマーなど途上国から来た聴覚障害者、
エストニア、アイスランドなど先進国からも移住目的で来た聴覚障害者が在籍していました。
(重複障害があり特別な支援が必要な人には専門の職員さんがついて全面サポートしていました💡)
この学校のプログラム内容は、
・フィンランド手話
・国際手話
・フィンランド文化
・世界の状況について
などについて学ぶというもので、耳が聞こえない彼らがフィンランドで生活していけるための力を付けていました。
こういった世界的な「聴覚障害者に特化した学校」があるんだ!と感動しました👀
そこで出会った人たちのエピソードもまた壮大で。
●イラク出身の聴覚障害者 男性 のお話
戦争の危機から逃れる必要があった。当然、障害者として国からの支援も受けられない。
フィンランド手話もフィンランド語も全く分からない状態で来た。
ここ(フィンランド)は安全だから住みやすいし、移民支援も受けられるし、学校の手話指導もカリキュラムもしっかりしているから助かってる。
彼から「僕の名前を日本語で書いてよ!」と言われたので書いたら、濁点(〝)の部分を見て「この点々は何?」と質問が👀
わお、難しい質問だねー!(笑)
当時はまだ全然できなかった、つたない国際手話で「これは日本語独特の発音が関係してるよ」と答えるしかなかった👀
●ソマリア出身の聴覚障害者 女性 のお話
難民として家族と一緒にフィンランドに来た。
ソマリアでは障害者は学校教育が受けられないので、自分は手話はできるけれど文字を書く事はできなかった。
ソマリアでは女性は肌を見せてはいけない。食事をする時も、黒い布で顔を隠しながら食べなければならない。
もし、私がフィンランドに来て自分の素肌を出している事がソマリア政府に知られると、見つけ出されて殺されてしまう可能性がある。
だから、写真撮影などは基本的にしないようにしている。
(※なお、「ソマリア」の手話は自分の首を絞めるような表現をします。)
今は安全に暮らせているから、まあ幸せかな。希望を持って生きている。
彼らのお話を聞いて、世界には様々な
【可能性の実】【希望の光】
がある!!と信じたくなった。
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実は本日、お誕生日でした☺
また1つレベルが上がったので、今後も
🍀人に1(回)会ったら、3(つのことを)楽しんでいただく
🍀時間を頂いたことに感謝
🍀私と出会ったことで、得(徳)していただく
🍀1年(に)3(つの)挑戦
これらをモットーに、何らかをプレゼントできる人になることを目指します✊
いつも関わって頂いている方々、この文章を読んでくださっている方々、本当にありがとうございます☺
【本日の手話】
”ありがとう”
一方の手を垂直に立て、もう一方の手の甲から上にあげます。
お相撲さん(関取さん)が対戦で勝った時、賞金をもらって手刀をきるしぐさから生まれた手話です。
ロームシアター京都にて