分があるのはウィル・スミス?それともコメディアン?文化の違いで感じたこと
映画の祭典で起こった平手打ち騒動が、いまだ衝撃を持って受け止められています。
アカデミー賞授賞式は3月27日。俳優ウィル・スミスが舞台でスピーチをしていたコメディアン、クリス・ロックの頬を打ち、席についてからも強い言葉で怒りを表現したのです。
直後に様子を伝えたYouTube動画のコメント欄には、英語でクリス・ロックをたたえる言葉があふれていました。
"props"(おめでとう)
"So professional" (真のプロフェッショナルだ)
"You became legend"(伝説になったね)
ウィル・スミスの妻の「髪型」をジョークに、脱毛症で髪を失い、短く剃っていたヘアスタイルを"ネタ”にした、コメディアン。それに立ち向かったウィル・スミスは痛快な印象さえありました。
なのに、米国ではクリス・ロックに賞賛の嵐。「えーっ!」と意外に思いながら、彼の「冷静な反応」をたたえる声を追っていくと、次第に「なるほど」と合点がいきました。米国に住んでいたときの私と、いま日本にいる自分では、感じ方が違うだろうなと。
私は日本の大学を卒業後、米国留学したのですが、動機のひとつに「(ディベートで相手を打ち負かせるほどに)考えを主張できる自分になりたい」というのがありました。
ところが米国に住んでから、はたと気づいたのです。自分の意見をしっかり持つのは大前提。しかし、主張のしかたはむしろ、「よくいえば慎ましい、悪くいえば煮え切らない自分」らしくてもいいのではないかと。
ニューヨークでは、日常に「激しい場面」があふれていました。郵便局にいけば、窓口の対応が遅くて声高にクレームをぶつける人。美容院で気に入らない髪型になって泣きわめく人。
テレビでは、口論からつかみ合いの喧嘩にいたる「トークショー」をエンターテインメントにしていました。
暮らしているなかで、大声をあげたり、キレたりして「主張」している人たちが当たり前のようにいる。
一方で、そんなふうに自分を「主張」をしない人もいるのです。私の目からみると、米国社会は目に見えない「階級」があり、落ち着いて対応するのは生活に余裕があり、教養があり、いわゆる社会的ステータスのある"プロフェッショナル"な人たちという印象です。
おおざっぱな偏見かもしれません。でも、ウィル・スミスのような人気俳優はふだん、怒ってもキレたりせず、穏やかな接し方をしているイメージなのです。
日本にいると、そもそも米国のような、見えない「階級差」やふるまいの違いを大きく感じることもないですし、日常生活で「雄たけびをあげて主張をする」人を見ることも少ないのではないでしょうか。ただし、酒の席をのぞいては、ですが。
そんな私も、米国生活でわかりやすくキレたことがあります。ニューヨークでUホール(U-Haul)という引っ越し用のバンを借りに行ったとき、店の前にすでに長い列ができていました。レンタルの時間制限があるので、急がなければなりません。ですが、よりによって、私の番になって受付の若い女性2人が、互いの髪の毛をつかみながら大喧嘩を始めたのです。
私が「エクスキューズミー」と呼びかけても、取っ組み合いはおさまりません。ついに、ふだん目にする「キレているカスタマー」を真似して、「やめて~私には時間がないんだから~」とありったけの叫び声をあげてみたのです。
結果として、すぐ対応してくれたのですが、そのときふたりの店員が私に投げた「まなざし」は、あわれみに満ちていました。先ほどまで自分たちも制御不能だったことは忘れ、「取り乱した客」に対して「ハイハイ、聞いてますよ」と冷静に「高み」から応対してくれたのが印象に残っています。
こうした日常のシーンをかんがみると、私がもし米国にいたら「体当たりのクレームにも冷静に立ち振る舞ったクリス・ロックは品格がある」と受け止めたかもしれず、一方で日本に住む私は「平手打ちをするなんて、ウィル・スミスはよほど耐えかねたのだろう」と同情すらおぼえてしまいます。
文化の違いを抜きにして、「あなた自身はどう考えるのか」と問われれば、「自分がウィル・スミスの妻の立場なら、髪型のジョークを言われるのも、夫が平手打ちで反撃するのも、どっちもいやだなあ」と思ってしまいそうですが・・・。