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地域づくりの挽歌

その人が死んでも、その人の言葉は生き続ける。

地域活動をしていると高齢者の方と関わることが多いです。いろいろなことが学べたり、励ましてもらえたり、ちょっとしたことでも役に立てるのはうれしいですね。年の離れた仲間ができることは地域活動の醍醐味の一つだと思います。

しかし、ときに仲良くなった人と永遠の別れをすることは辛いものです。

万葉集では亡くなった人を悼む「挽歌」が263首あります。古代人は大切な人の死を乗り越えるために歌を詠みました。例として、柿本人麻呂の代表的な歌を紹介します。突然いなくなった妻を紅葉の山中に迷い込んだ状況に喩えています。

柿本人麻呂が最愛の妻を亡くした時に詠んだ歌

今回の記事は先日89歳で亡くなった万葉ロマン塾の仲間、田村喜一さんに捧げる私なりの挽歌です。

田村さんとは港区のボランティアガイドグループ「芝の語り部」で知り合った縁で、万葉ロマン塾にも最初から関わってもらいました。ZOOMのオンライン講座を毎回スマホから参加され、いつも楽しそうな表情が印象的でした。

万葉衣装を着て朗唱をする田村さん(2年前)

田村さんの忘れられない一言があります。

「よ、千両役者」

3年前、私が初めて人前で万葉集の朗唱をした時のこと。緊張のあまりスベって落ち込んでいた私に駆け寄ってくれた田村さんの第一声です。この言葉に救われました。本当に嬉しかったです。いつか私も誰かに言ってあげたいです。

中途半端だった私の朗唱

ちなみに、動画でも見ることができます(苦笑)

田村さんは俳句が好きでした。毎日のようにLINEで画像付きの俳句を送ってくれました(笑)。煩わしいと思うこともありましたが、来なくなってしまうと無性に寂しいものです。

印象に残る句
これが田村さんの辞世の句となった

また、田村さんは福井空襲の経験についてよく語ってくれました。「福井の町が火の海になった。親と必死で逃げた」という話は私が伝えていきたいと思います。

一つ悔いが残ることがあります。田村さんから「田村式解(ほぐ)し体操」なるものを撮影してほしいと頼まれていたのですが、叶えることができませんでした。

「年配者が元気で暮らすために、自分がやっている田村式解し体操を形に残し伝えたい。朝起きてそのまま体操を始め、用具なしで、場所も選ばない。我流で続けられる楽しさが大事なんです。自分の都合に合わせ、旅先など何処でも、我流身体解しであります、こんな思いです、よろしく。」(田村さんからのLINEより)

文章を読み返してもどのような体操なのか、全く想像がつかない(笑)。いつかあの世でお会いした時に聞いてみるしかありませんね。

一番右が私で、その隣が田村さん

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