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修行の道を復活させる(新宮山彦ぐるーぷ・八代環境パトロール隊)

寒さ暑さも彼岸まで。まさに先人の言葉通りですね。ようやく暑さが少し和らいできました。これで取材がしやすくなります。

さて、先週末、今年の総務省のふるさとづくり大賞を受賞された山岳奉仕団体「新宮山彦ぐるーぷ」の活動を取材してきました。猛暑の中での撮影でしたが、活動に心を打たれました。

私はこれまでに300以上の受賞団体を取材してきました。新宮山彦ぐるーぷはその中で最もハードな活動をされていると思います。

彼らの拠点は和歌山県新宮市ですが、活動エリアは奈良県の奥深くに広がる大峰奥駈道(おおみねおくがけみち)の南半分にあたる南奥駈道です。

熊野古道のような神社への参詣道ではなく、1300年前から山伏の修行に使われてきた道で、とにかく険しいです。高野山や那智がインバウンドで賑わう中、ここは別世界。外国人の姿はありません。

行仙登山口近く
険しい登りが続く

南奥駈道は明治初年(1868年)の廃仏毀釈と修験道廃止令により、120年間通行が困難となっていました。しかし、ある山伏の強い思いに共感した新宮山彦ぐるーぷが1984年から15年を要して、藪の刈り拓きを行い、約45キロにおよぶ道を復活させたのです。

昭和59年頃の千日刈峰行

この刈り拓きは比叡山の千日回峰行(7年間かけて比叡山の峰々を巡礼する荒行)ならぬ、「千日峰行」と名付けられ、多くの人の関心を集めます。

あまり知られていませんが、この南奥駈道の復活は「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録(2004年)に大きく貢献しています。

ことし、新宮山彦ぐるーぷは設立50年を迎えました。和歌山・奈良に住む約20名のメンバーを中心に活動を行っています。

具体的には山小屋3つと避難所1つを管理し、道の整備、熊野修験の峰入りの支援、そして訪れる人々への温かいおもてなしを提供しています。

活動を始める前に山伏が安全を祈願する勤行を行う
山小屋にある薪ストーブ用の薪割り
道の拡幅を行う

メンバーの平均年齢は70代後半となりましたが、皆さんとても元気で、山を心から楽しんでいる姿が印象的でした。

オフィシャルな活動は月に2回ほど。しかしメンバーは雨の日の後など気になることがあれば自主的に山へ足を運び、道や建物の状態を常に確認しています。

新宮山彦ぐるーぷ代表世話人の沖崎吉信さん(右)と。

新宮山彦ぐるーぷのように45キロにおよぶ道を復活させた事例は前例がありませんが、小さな規模の例はあります。

富山県氷見市でも山伏の道が復活

私が8年前から通う富山県氷見市の八代地区。ここでは山岳信仰の霊場として知られる石動山の行場「八代仙(はったいせん)」の岩屋(岩壁に自然にできた洞窟)への道を地元のボランティア団体「八代環境パトロール隊」が復活させました。

石動山…現在の石川県中能登町を拠点として、中世の最盛期には院坊360余り、衆徒約3,000人の規模を誇った。明治時代に起きた地震で八代仙の岩屋は崩落してしまい、現在は跡のみ。その結果、岩屋の存在を知る人は地域でもほとんどいなくなった。

八代環境パトロール隊は険しい山道を重機で切り開いて、岩屋跡までの歩道(400メートル)を自力で開設しました。高齢者の団体だったので話を聞いた時は驚きました。

道を復活させた理由がまた驚きでした。当時、八代環境パトロール隊は都会の若者を迎えて、交流イベントを開催していたのですが、「若者たちに岩屋跡を見てもらいたい」という一心で危険を顧みずに道を作りました。とても素敵です。

若者たちはロープを使って岩屋跡まで向かう 撮影するのも大変(苦笑)
岩屋跡
石碑が残る

高齢者の団体がここまでの活動を自力で成し遂げたことに驚きました。その情熱が地域を支えています。

若者と八代環境パトロール隊で「八代仙岩屋口」看板設置 

八代環境パトロールも「ふるさとづくり大賞」の受賞団体です。他にも素晴らしい活動をいくつもされていますので、ぜひ私が制作したHP「地域の番人」をご覧ください。

山の道は人に踏まれなければ、獣道に戻ってしまいます。

地域の歴史や資源を見直す意味で、道の復活はとても意義があります。ただ危険を伴う作業ですので、高齢者のボランティアだけでは限界があります。新宮山彦ぐるーぷでは活動中に命を落とされた方もいます。

これからは若くて体力のある世代、特に地域おこし協力隊が中心となり、地域と連携して取り組んでくれることを期待しています!

八代仙の道の再生に尽力した八代環境パトロール隊の浅井世明さん(現在はリタイア)


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