空海と龍とアースキーパークリスタルのお導き✨✨✨✨✨✨
ルウカが地球にやってきて
2、3ヶ月までの生活は、おっぱい、オムツ替え、トイレ、ご飯、寝る、の繰り返しが続いて、ただひたすらに動物的本能で、生命維持の為のことに集中して、それ以外の事は、ほとんど出来なかった。
4ヶ月目くらいになると、
抱っこ紐して散歩したり、ランチにいったり、外にもいきはじめて人間のような生活を取り戻しはじめた。
5ヶ月目くらいになると、突然、待ってましたとばかりに、"空海" についての情報が周りを飛び交い始め、6ヶ月目には、何処に行っても、"空海" の話題や、それに因んだ場所の話がでたり、みたり、空海一色となっていった。
そして7ヶ月目には、高知のアースキーパークリスタルを所有されている方の邸宅で、アースキーパークリスタルを囲んで、瞑想をする。そんな素敵な瞑想会のお誘いが突如入り、
キタ、、、!
と、アースキーパーとの瞑想会に、参加する事に。そして、ルウカも一緒に、"空海"ゆかりの高知へと、飛行機にのり向かった。
素敵なお屋敷でのアースキーパークリスタルとの瞑想時間は、とんでもなく変容意識となって、別次元での
コミュニケーションしかできなくて、終わった後は、しばらく3次元では使いものにはならないくらいに、ぶっ飛んだ。
そして、瞑想が終わると、その周波数をまとったまま、唐人駄馬遺跡や御厨人窟、竜宮神社、足摺岬、室戸岬、などを訪れた。
空海が開眼したと言われる "御厨人窟" の中から見える景色は、空と海で、“ 空海 "という名が、そこからきているという説に、こういう背景があったのかと、感動し、そして
空海に、そこで何が起こったのか、空と海を前に、想像しながら、その洞窟で瞑想をした。
アースキーパークリスタルとの瞑想とは又違って、目を瞑ると、何かに引き込まれていくような感じがした。すると、マゼンダ色の渦が目の裏あたりに現れた。そのままマゼンダ色のワームホールのようなもののなかに、突っ込んでいくと、その先は無重力の空間に繋がっていた。上にあがるでもなく、下に降りるでもなく、吸い込まれるような感覚、空気の中に入る、ような感じでもあり、体の外にでる、感じでもある。
全体と一体になる、ような感覚もひろがった。
そして、どれくらい経ったのか、いつの間にか、ウトウト眠ってしまった。次に目を開けた瞬間には、海の水平線を真ん中に、上が空、下が海、の空海が見た景色と同じ景色が私の目の前にもあった。全く開眼などしなかったけれど、瞑想中に感じた無重力の感覚は、まだ残っていた。少し寝てしまった間に、何かをダウンロードしているかもしれない!と、楽しみにもなって行った。そして、上にあがるでもなく、下に降りるでもなく、外側の中に入る=内側の外に出る、みたいな感覚が消えなかった。
空と海と中と外、、、
それからしばらくは、外側に自分がいて、その外側にいる自分が認識しているものが内側におくられてきていて、自分の外側の意識と、内側の意識の隔たりがなくなる瞬間を幾度となく楽しんだ。
音の中に入る、
音になる、
に、似てる ???
唐人駄馬では、ルウカをベビーシッターさんに預けて、龍が生まれるという山に登り、巨石群に囲まれて、その振動と、古代からずっと守られている普遍的なものに圧倒された。
その巨石の上での瞑想は、又別次元に誘われ、きっと体が浮いていたんじゃないかと思うくらいに、重力が無くなった。
そして、その感覚が何かに似ているな、、、と思った瞬間に、ルウカがお腹の中にいた時の、ルウカの心音が聞こえてきた。
そうだ、この振動と、無重力感
ルウカがお腹の中にいた時の、あ
の感じに似ている、、、でも
それは、ルウカが感じていたもの
なんじゃないの?
何かを同じように、追体験したような、お腹の中にいた時のルウカの意識に繋がったような、不思議な体験だった。
振動を通じて、おくられていたものは、非言語情報のように、私の細胞組織に転写されており、そのバイブレーションを思い出す度に、内側で何かが反応していた。頭で記憶できない何かは、そのように振動を使って記録されていて、それからもずっと私の中にある。そして、それはとても懐かしさを感じるものだ。
この波動を知っている
そんな感覚だった。
音や振動は、今でも、即座にその時に飛べるような、時空間を移動する為に使えるひとつの方法であり、太古より使われている、手段のひとつだと思った。意識は時空も次元も超えていく。
記憶は、意識の休憩場所のような、避難先のような役目もあるのか、記憶の中に意識が入っていって、楽しい記憶の中では思い出し笑いして楽しんだり、悲しい記憶の中では又思い出して泣いたり、色々するわけだけど、その時の意識の周波数と、記憶が持っている周波数がマッチすると、その記憶が蘇ってくるという事でもある。
自分がまずどのような周波数を纏うかを先に意識して放つ事で、それらは、使うものとなり、それらを使う事ができるようになると、使い方次第では、今に有効な、今をより楽しむ為の情報や意識、選択、環境を得ることができるのだろうと思った。
高知まで来て、“ 空海 "の持つ周波数から、私は、何かを思い出そうとしているような、周波数を合わせて、流れ込んでくる意識を、ダウンロードしているようだった。
高知では、その後も、懐かしさ、知っている、呼んでいる、そんな感覚が続いた。母方の祖母が土佐の呉服屋さんの娘だった事もあり、DNAの中にも、セットされて受け継いでいる何か、もあるのかもしれない。
ルウカも連れて来る事になり、一緒に高知の土地を踏み、大地にご挨拶し、御先祖参りも兼ねてさせていただいたようでもあるし、地球のみならず、宇宙由来の御先祖さまとも、波長を合わせたようで、ルウカをとりまくエネルギーフィールドは更に濃く、大きくなり、アースキーパークリスタルの側で、キラキラと輝いていた。
ルウカが地球にきてから、より多次元を理解する機会が与えられた。地球も含む多次元の宇宙では、オギャーひとつにも色々意味があるように、ひとつの言葉が、ひとつではなくたくさんの意味を持つ。
そこに含まれる多次元の意味の解釈は、それぞれの持つ、固有の周波数も絡み合い、幾重にも重なり合う次元の中で、パンドラの蓋を開け、紐解きながら繋いでいく、多次元伝言ゲーム(時には異次元無言ゲーム)の難しさと、面白さを魅せてくれる。
そして、そんな中では、思い通りにならないようにしてくれている存在達への感謝さえも湧いてきた。なぜなら、工夫や知恵は、なんでも上手くいく中では育たないものであり、
そこを磨きながらの魂のアップデートも、この地球での体験からしか、なし得る事ができない事柄達だからだ。
東京に帰ってからも、ノンストップでダウンロードしはじめ、非現象世界のアップデートからくる、目に映る現象世界の変化変容、子育て御奉仕の毎日は、エンドレスで続き、ルウカがまだ歩き出す前の自力では動かない楽な時期に(これで楽なの?)、行けるところへは、行っておいてとばかりに、次々に予定が入っていった。
つづく。。。