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半沢直樹のその先へ

*2020年9月に記載した『中国法務の扉』のコラムをリライトしています。

前回のシリーズも「そんなことやったらあんた捕まるよ!」「違法行為でしょ!」「絶対パワハラだから!!」と突っ込まざるを得ず、先のシリーズも同じような突っ込みを毎週繰り返していたドラマ『半沢直樹』。


…本当に中毒性が強い。もう、やめられない。麻辣烫(マーラータン)のようであった(痺れる辛さでクセになる中国の麺料理である。是非一度ご賞味ください。)。

『半沢直樹』を突っ込みながら見て考えたのは、これほどの人気を誇る理由である。素晴らしいキャストや独特の演出など色々あると思うが、一番は半沢がとことんまで「空気を読まない」こと、ではないか。どれだけ崇高な理想を持っていても、現実社会で空気を読まずに正論を貫くことは難しい。日本は昔々から「空気を読む」ことが必要な国であるが(まず異論はないだろう。大部分の人が空気を読まない中国で過ごしてしみじみとそう思った)、このコロナ生活は今まで以上に「空気を読む」ことを強いられる。空気を読み、言いたいことややりたいことを我慢して蓄積されたエネルギーが皆を『半沢直樹』に向かわせたように思う。空気を読まない<象徴>への憧れ。

実は、裁判においても弁護士や検察官は当然のように空気を読む。弁護士同士(刑事事件の場合、相手方は検察官)、そして裁判官の阿吽の呼吸で手続きは進み、よほどのことがない限り誰も流れを止めない。いつもの手続きをいつも通りやる。

しかし、「空気を読まず」何かを述べたとき、あるいは「物分かりが悪い」と自分で思いつつ繰り返し質問したとき、主張を維持したとき、思いがけず事件が動くときがある。裁判所での振る舞い方について同僚弁護士らと話をしたら、大いに盛り上がった。空気を読まないことで正義が実現される場合は確かにある。

誰もがイライラしている。Zoomの画面越しに読めない空気を読み、疲れ切っている人も多いだろう。『半沢直樹』も終わってしまったし、発散の場所がない。もうそろそろ次に行こう!そんなことを最近よく思う。言いたいことはちゃんといえばいい。もちろん匿名ではなく実名で。

しかし、言いたいことを言ったらどうなるのか、私たちはあまり経験がない(弁護士としてはとことんやるが、プライベートでは私だってあまりない)。言いたいことを言った後、こじれて終わる、揉めて終わるでは意味がない。一瞬ストレスが無くなって、更に大きなストレスを背負う。

それではこの先何を育めばよいのか。学べばよいのか。それは関係性なのか、ルールなのか。まだわからない。そういうわけで、私が次読む本はコレ である。<対話>とは何か、研究したい。

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弁護士岡部真記
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