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全てが力になった、あの頃の話

自己紹介から少し掘り下げて、私がはじめてスクール兼サロンをもち、個人事業主になった頃の話を書きたいと思います。

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自己紹介では、夢を見つけるまでから現在に至るまでの経緯を綴っています。特に自分探しの最中のことを、クローズアップしてみました。

当時のサロンの写真は画質が悪く、見苦しかったらすみません。

私にできるのかなって躊躇されてる方だったり
サロン開業準備中の方、すでにサロンを開業されて今ちょっと落ち込んでる方などに、この記事が少しでも勇気や気づきになったら嬉しいです。

はじめてのサロン

入り口です。

私が借りたスペースは、デベロッパーのがんばる人を応援する企画で、まずは1年間。その後も年単位での契約で坪単位で借りることができて

しかも屋賃ではなく売上の%での支払いのみだったので、スタートしてはすごく始めやすかったです。

IKEAで買った組み立て式のリフレのベッド2台

ちょっと見えずらいかもですが、通路は壁で仕切られていなく、でも壁がないのはお客様が落ち着かないなと、特注で黒竹を使ったパーテーションを作ってもらいました。

見積もりを見た時は、やっぱり壁がなくても良いかなって思ったりもしたんですけど、ここは無理して良かったです。

整骨院に置いてあるようなまさにザ・整体のベッド

7坪のスペースにリフレのイス2台、整体のベッド1台。そこにパーテーションで区切って、ちょっとしたバックヤードも作りました。

入り口から見るとこんな感じです。あ!遠藤さんだ

デベロッパーの冷たい視線に耐えながらも、入り口は通路ぎりぎりにカウンターを設けて、7坪の狭いスペースをなるべく快適に過ごしていただけるよう、何度も配置換えをして極上を目指しました。

サロンの通路挟んだ左側は洋服屋さんで、前は和風の雑貨屋さんでした。右側は忘れちゃったんですが、うちのサロンは結構長く家具屋だと思われていたようです。

「ずっと家具屋さんだと思ってた。」
沢山のお客様からお声をいただきました。

それは何故か。

夢に見たサロンオープン

ショッピングセンター自体のオープンと言うこともあって、ありがたいことにオープン初日からものすごい人数のお客様が訪れてくださいました。

確か10時~21時までの長い営業だったと思いますが、施術スタッフの休憩はごはんを食べるだけ、スタッフ通しの会話はお店を閉めてから。

「お疲れさまでした。」だけだったと思います。

オープンしたての頃の私は施術はできずだったので、店長として存在していてご予約の受付からお茶出し、タオルの洗濯、片付け全般をしていました。

オープン3日目の夜。そういえばトイレに行ったっけ?
翌朝人生初の点滴を経験。あやうく尿毒症になるところでした。

オープンから1ヶ月経過した頃、テナントの店長30人?位が集まる店長会議があって、ショッピングセンター内で1番売上が良かったお店と1番来店数が多かったお店が発表されました。

「東京リラックセーションアカデミーさん」
そう言って、司会者の方が私の方を見るんです。
すごく驚きました。

大手チェーン店系のファーストフードのお店とか、飲食店もありました。
リラクゼーションサロンは同じフロアに私のサロンを入れて3つありました。3つの中には大手リラクゼーションサロンのラフィネもあります。

1位を獲得するぞ!はもちろん、売上目標すら掲げてなかったので、表彰された時は驚きの方が強かったんですが、その後お店に戻ってスタッフの顔を見たら、喜びで涙が溢れてきました。

へとへとになるまで頑張ってくれたスタッフに、感謝しかなかったです。

オープンから2ヶ月目突入

1ヶ月間のキャンペーンコースやオープン記念の料金を、グランドメニューのみの通常料金にして、気持ちを新たに2ヶ月目に入りました。

いつもと同じように黙々と朝の準備をしていると、スタッフも今日もがんばらなくちゃ!目力強めで一人ふたりと出勤してくれます。
そして10時オープン。

いつもなら列をなしてたお客様が一人も来ない。今日なんかあったのかな。
そんなことを思いながら、今まであまり会話をすることのなかったスタッフ通しでゆったり、新しいメニューを折ったりしながら色々話をしていました。

そうこうしながら、11時。12時と時間が経過していきます。

お昼の時間になって、はじめての一人1時間のお昼休憩を順番にとりました。

また全員揃った夕方。16時頃だったと思います。
一人もお客様が来ません。

さすがにおかしいと思って通路にでると、すごく閑散としてる。

20年以上も前の事とは言え、あまりに強烈なことだったので、記憶も鮮明なんですが、

状況把握のためショッピングセンター内を1階。2階。3階と隅々まで見て回りました。

店に着くころには言葉にはできない複雑な気持ちになっていたところ、となりのショップの店員さんが、はじめて声をかけてくれました。

「アカデミーは忙しかったから気が付かなかったと思うんですけど、デオがオープンして1週間で人来なくなりましたよ。」

確かに。
1階、2階、3階。隅々まで回ったけど、人にすれ違わなかった。
2ヶ月目に突入したこの日。売上げはゼロでした。

いつしかコミュニティサロンに

この日を境に空気が一変。
平日は多くても3人位。
土日はそこそこと言っても、月の売上としては大赤字。

恥ずかしながら、お金を稼ぐって大変なことなんだなって、お店を出してから知りました。

3ヶ月目に入ってからすぐの2回目の店長会議では、名前を呼ばれることもなく、配布される成績表みたいな紙をみれば、リラク3店舗の中でも最下位。

それから会議に参加することは、撤退するまで一度もありませんでした。

平日はお客様は来ないし、通路を歩く人の姿も見えなくて、3階のフロアから下の階のテナントの方々まで、急速に仲良くなっていきました。

2ヶ月目から始めた巡回は、しばらくの間毎日していて、気が付いたら日課になりました。

巡回中すれ違う人は決まってどこかのテナントの店長さんだったりして、人見知りの私でも不思議と自然に話しかけることができる、散歩で出逢った犬のママ友のように

「今日も人居ませんね」
合言葉のような挨拶を繰り返していました。

そうして日ごとに仲間が増えていきます。

うちのサロンには椅子もあったし、施術後にお出しするお茶もありました。
いつしかうちのサロンがデオのたまり場みたいになりました。

念のためですが、そこではダラダラと世間話をするわけじゃなくて、最近お客様くる?とか、落ち込んでる時には励ましあったり、こうするといいみたい!って情報交換を多くしていました。

今で言う、リアルなコミュニティサロンだった気がします。

家具屋に間違われた理由

サロンでは平均して、1日スタッフ2名の体制で私を入れて3名出勤。

1日2回2人がビラ巻きをしに行ってくれる間、いつも私は集中してパソコンに向かっていました。

ちゃんとサロンの中には居たんですが、たとえお客様が誰も居なくても、受付に座って待つ、そんな基本的なことをしてなかったんですよね。

パソコンは入り口から入って、パーテーションで仕切られた一番奥の壁側にあって、中の状況は通路からサロン内を見ると、見えないようにしていたから

通路を歩く人からすると、スタッフも居ない、お客様も居ない、ただ家具が置いてあるだけのサロン空間は、家具屋だと間違われて当たり前だ。

ある日となりのショップの大ちゃんに、入り口から大きな声で呼ばれ、
大きすぎる声だなって思っていたら

「居るか居ないかわからなかったから」と言われ
やっと気づきました。

必ず誰かひとり、受付に座る。
それを実行し始めたら、新規のお客様が増えていきました。

多くの方の支え

サロンのエース。サヨコ

契約をした1ヶ月後にオープンだったにも関わらず、仕事の優先順位さえ守れなかった私は、最優先でするべきスタッフの求人を後回しにしてました。

父に何やってんだ!って叱られ、他のスクールに連絡してお願いをしろ!と教えられても、2,3日勇気を出せずにいました。

もたもたしてるとオープン日が迫ってきます。
何の交流もなかった日本セラピストスクールの学院長西川先生に、勇気を振り絞って電話をしました。

返ってきたお言葉は一つ

何人必要?

あの時のかっこいい西川先生を忘れることはないと思う。

卒業生の方を必要な人数手配してくださり、おかげさまでオープン初日を迎えることができました。
今でも深く感謝しています。

オープンからしばらくは、市川校の講師の方や西川先生の手配してくださった卒業生の方で回していましたが、

徐々に当校で学んでくださった卒業生の方が一人ふたりとスタッフになって、共にお店を盛り上げてくれました!

ゼロからの学び

人が来ないショッピングセンターでは、平日の主なお客様はデオにお勤めの人が大半になりました。

めがねやさんから服飾店、飲食店のオーナー、同業のラフィネのスタッフの方や、もう一つあったコリトリステーションの店長さんは、スタッフの方にまで「アカデミーに行って」って声までかけてくださって、スタッフ全員ご利用くださいました。

ラフィネのスタッフの方の中には、当校に入学して資格を取得された方も居てくれました。

はじめはデオにお勤めの方からでしたが、徐々にそのご家族までご利用いただけることが多くなっていきました。すごくありがたかったです。

こりとりの店長さんには本当に良くして頂いて、同業者でありながらも、うちはこうしてるよって教えてくださったり、2人で飲みに行ったあと、ご自宅に泊めて頂いたりもしました。

同じフロアにリラク3店舗あったことは、厳しいようで、逆に学べて良かったです。

他店との違いを意識せざるを得ない環境だったので、その中でどう強みを出していけばいいのかなど、ブランディングも学べたように思えます。

取り組んだこと

段々とお客様にお越しいただけるようになってからも、1日2回のお昼と夕方のビラ巻きをしました。

お客様が居ない時はスタッフみんなで、何がだめで、何を改善したらいいか、時間さえあれば会議をして、変更できるものはすぐに変更していきました。

お客様から頂くお声もすごく貴重で、改善を促すヒントになることが多かったです。

技術の向上のために、スタッフどおしで練習を重ねることも多くありました。

みんなでしていたことで、お客様を施術をしてみて感じた意見交換の時間があって、私が1番大好きだった時間です。

一人のお客様の体調、体質、生活習慣などから、どうしたら元気になるかなって、みんなで話し合う時間は、技術者としてはこの上なく楽しかったです。

そして何を提供するべきか、答えを出すために個人個人勉強をしていました。

一ヶ月に一回を目安にお客様全員のカルテのチェックをして、顧客管理の徹底もしました。

自分が施術していないお客様でも、会ったことのないお客様でも、名前を聞くだけで、スタッフ全員がお客様のことを一目でわかるようにしていきました。

何をどうすれば正解なのか、全然わかってなかったと思います。

ダメなら改善しよう。お客様の健康を向上させよう。お客様に満足してお帰り頂けるよう徹底しよう。スタッフみんなで全力で取り組みました。

そうしているうちに、だんだんと新規のお客様も増えていき、常連のお客様が多くなっていきました。

1年の契約更新が迫ってきた頃、デベロッパーの方から3階全体を変えるにあたって、応援企画スペースでこれからも継続していきたい店舗は2階の1坪スペースに移動のお願いをされ

色々と悩むことはありましたが、3階を改装し始めるぎりぎりまで営業にして、撤退をすることを決めました。

仲間と共に

整体師コース卒業生でスタッフになってくれたノブ

マンションを購入したばかりだった遠藤さん。サロンで1番指名の多かったサヨコ。MBAを取得して帰国後、何故か整体師を志したノブ。
ここで働けるのが嬉しくて楽しいって毎日言ってくれたみさお。

西川先生にほぼ強制的に「行け。」と言われてヘルプのつもりで来たサトちゃん。最後まで1番出勤してくれました。

長く一緒にがんばってくれた5人。
彼らのおかげで、息ができました。

安いお給料しか出せなかったのに、集客する為にはどうしようか。リピートしてもらえるにはどうしようか。一緒になって考えて行動してくれました。

お客様を大切に思う気持ちも、みんなの心がひとつだった。
言葉では伝えられない位、今も感謝しています。

となりのショップの店長しゅんしゅん
スタッフの大ちゃん。
2人はうちのサロンの一員みたいに、協力してくれたり、いつも励ましてくれました。

ここでは書ききれない多くの方々に支えていただきました。心より深く感謝しています。

撤退する日までの最後の一ヶ月間は、デオにお勤めの方からそのご家族、ご愛顧くださったお客様、月に一回のご来店だった常連の方では、一ヶ月間のうちに何度も来てくださったりもしました。

お世話になった方々がみなさん来てくださって、日々名残り惜しさを感じつつ迎えた最終日。

スタッフ全員で朝からラストまでがんばって、幕を閉じました。

左側がノブ。右側がみさお。

ノブとみさお。柏でオープンした時にふたりでかけつけてくれました。

最終日の後日。
片付けをして、デベロッパーの事務所にご挨拶に伺うと、支配人からがんばったねって言葉と一緒に、最後の一ヶ月間の成績表を渡されました。

紙を見ると
オープンしてから一ヶ月目にだした売上と、ほぼ同じ数字。
リラク3店舗の中で1位なっていました。

さいごに

私は開業する時に何のノウハウもなく、事業計画というものももちろんありませんでした。

あったのは熱意のみ。

狭いし、物が多いし、館内放送聞こえるし、今見ても五感を癒すようなスパとはかけ離れた感じですが、

はじめてお店をもつ私には、身の丈に合った好条件のスペースで何よりサロンをもてたことがすごく嬉しかった。

私にできるのか?ちゃんと収益をあげられるのか?
自問したり

基本的な経営のことくらい勉強して、しっかり計画を立ててからの方が良かったのかもしれません。

やるべきことをリストアップして、オープンに合わせてきちんと準備してから開業してたら、大変な思いも少なかったかもしれません。
多少なりとも、今の私ならそうするでしょう。

あの頃の私は、夢を実現させることに夢中でした。
はじめたい気持ちが強かった。

集客が思うようにできなくて、今月どうしよう、来月大丈夫かなって、帰りの車の中で1人になると、いつも不安で泣いていました。

だけど沢山の人に救われて、支えてもらって、自分一人じゃ成し遂げられなかったことも、一つづつ叶えていくことができました。

苦しさだけじゃなくて、人との出逢い、楽しさも沢山ありました。
振り返ってみると、楽しかったことの方が多かったなって思います。

起きることには意味があるんだなって、強く実感したのもあの頃です。
すごく濃厚だった。

ここで学んだことは、全てが自分の力になって
今があるのも、あの頃があったからって、声を大にして言えます。
経験てほんと、力になりますね。

自分の気持ちを信じてがんばる人を応援します!

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