第35話:自然の摂理
翌朝、またもやしのぶは暗い顔に戻っていた。前日の幸福とは打って変わって、再びノルアドレナリン大放出。
せっかく大きなプラズマクラスターの加湿器を置いたのに、ぶっこちゃんの部屋の乾燥に追いつかない。パワーを強にしても湿度四〇パーセントまでにしかならない。
四六時中稼働のエアコンにはかなわない。どうやら、もう一台必要なのかな。
それはいい。今日は、私がいけなかった。と、しのぶはため息をつく。
前日風呂に入れられた勢いで毎日着替えをさせるぞなんて意気込んだものだから、まずった。
ぶっこちゃんは疲れていた。昨日の疲れかもしれないし、ひ孫がいないとパワーが出ないのかもしれない。
「起きる?」
「うーん」
「着替える?」
「着替える」
返事は意味をなしてはいなかった。しのぶが起こして、汚れた服を着替えさせるのにいやいや従ってはくれるのだが。
「なんであんたに着替えさせてもらわなあかんのん」
まずった。しのぶは着替えをさせたかった。が、本人の意思でさせたかった。なのに、本人の意思が無い中着替えさせてしまったのだ。
ぶっこちゃん曰く
「着替えは風呂の時や」
「じゃあ、毎日風呂入るんか?」
「そんなん、先のこと言われても分かるかいな」
うまいこと返すでないか。いや、感心している場合ではない。しのぶは下着類の着替えは断念した。自分がイライラしてきたことに気付いたので、少し場を離れる必要性を感じた。
その後も何度か起こしに行くが、何やら妄想の中で一人文句を言っている。最終的に、優しい言葉かけによって落ち着いたぶっこちゃんではあるが、それでもぼーっとしている。
しのぶは、専門の支援が必要だと感じ始めていた。自分の脳が、対応できないのである。
以前、赤ちゃんは未熟だから、かわいがって育ててもらうためにかわいいんだってテレビで聞いて納得したことがある。
ならば、老人が、世話が必要な程弱いくせに、しわくちゃで他者に不快を与える言動をするのは何故だろうと考えてみた。もしかしたら、老人の死を家族が受け入れやすくするためなんじゃないかと思った。あまりに愛しすぎたら残された家族が苦しいから、そういう自然の摂理だったりして。
それでも、うちのぶっこちゃんはかわいい方だと思う。優しく関わりさえすれば、ある程度適応してくれる。今は恐らく、自分の不自由に本人が理解しきれずに、しんどいんじゃないかと思う。着替えやお風呂が自分で出来ないわけだから。恐らくは、トイレも不十分なんんだろう。使用済みのパットが棚や引き出しにあるくらいだから。そのくらいは、見つけて処理すれば良いのだが、この調子では下着が汚れたまま生活してるんじゃなかろうかと危惧する。そのところを、どう接するべきか、家族として非常に悩むので、専門家に相談したいと思ったわけだ。
ただ「辛い介護」というのだけは避けたい。あくまでも「介護は楽しく」なくてはならないと、しのぶは心情として心に決めている。
そのために、調べて、考えて、相談して、選択してゆかねばと思い、敢えて口角を上げて笑顔を作ってみた。