第15話:しっぽ
ぶっこちゃんは、ぶっこちゃん特有の世界観があるようで、それは近年認知症を患ったからでは決してなく、どうも元々備わった脳機能の為せる技のようにしのぶは感じている。
「前な、あんたがどっか行こうとしたときに慌てて追いかけたんや。外まで出てな、しっぽだけ見えたんや」
おもむろに話し出すぶっこちゃん。平凡な南野家の昼下がりである。ぶっこちゃんは庭に出したアウトドア用の折りたたみ椅子に体を預け、心地良い日差しに包まれて目を閉じているが、寝てはいない。単に眩しいだけだろう。そこにしのぶが居るのを分かっていて話しかけているようである。
「そうなんや」
花に水をやりながら、しのぶはとりあえず、返事をした。
なにげなく返事をしたものの、改めて情景を想像するに「しっぽ」という表現がたまらなく独創的で、どこから表出されたものかと気になりだした。
ぶっこちゃんは慌てて家を飛び出して追いかけたけど寸分の差で姿が見えなくなってしまった状況を表現しているのだろうけれども、それを文学的な風情で「しっぽ」と表現してみたようには思えないわけである。つまり、ぶっこちゃんには本当にその時「しっぽ」が見えたのだろう。そうでない限りそのように発言するわけがないと、しのぶはぶっこちゃんのことをそう見ている。
表面的で思慮しない性質なのがぶっこちゃんなのである。
これが、満に一でも心の機微の表現技法であるとするならば、この認知症はものすごい本人のポテンシャルを引き出す機能があることになる。
しのぶは、ぶっこちゃんの顔をまじまいと見つめてみた。それを察知したのか、ぶっこちゃんはぱっと目を見開いた。かと思えば、よっこらと立ち上がり、たどたどしく表に向かって歩き出した。
「どないしたん?」
しのぶはシャワーのノズルを持ったままぶっこちゃんに付いていく。ぶっこちゃんは、表の道路まで来て壁に手を添えた。
「この御堂筋、誰が通るかなー思て」
しのぶが付いてきているのを分かって話しかける。
「御堂筋?」
もちろん、家の前は御堂筋ではない。舗装されてはいるが、田舎の庶民道である。
「うちの御堂筋や。たいがい人通り多いで。この道か、そっちの西側の道か、どっちを御堂筋にしようか思てや」
ぶっっこちゃんは、通る人みんなに笑いかけ、挨拶する。知った人も通るが、ほとんどが知らない人である。
だがぶっこちゃんは「のんこさんや」とか「かいったん来なはった」とか知った人の名前を言い、そう思い込んでいる。向こうはキョトンとしながらも挨拶されると挨拶を返す。
こうしてぶっこちゃんは、着実にアイドルの道へ歩んでいくのである。