第12話:孤独
ぶっこちゃんは最近になって面白いことをよく言うようだが、これまではどうだっただろうか。しのぶは思いを巡らしてみる。あまり、思い出せない。ただ単に思い出せないだけなのか、はたまた別段面白いことを言う人ではなかったのか。
ただ、ぶっこちゃん自身は笑顔の多い人だったように思う。歳のせいもあるかもしれないが、日々の生活で特に感情の浮き沈みがあるわけでもなく、常に「今」を生きているというような明るさがあり、そうした明るさが周囲に安心感を感じさせ、親しみやすい人柄という認識になっているように思う。そうした意味合いも含めてぶっこちゃんの笑顔が印象的だということかもしれない。
とりあえず、ユーモラスな人であることは間違いないと結論してみた。
今でも普段はユーモラスな日常を送っているぶっこちゃんだが、時折切ない顔を見せることがある。そりゃ人間だから常に笑っているわけにはいかない。つまらないときだってあるだろう。切ない表情だって見せるだろう。だが、そうしたぶっこちゃんの小さな切なさを、しのぶは解消したいと思っていた。思っていたからこそ同居を本能的に即決して今一緒に生活している。
しのぶの父であり、ぶっこちゃんの息子である清一が亡くなる以前、ぶっこちゃんはこの家で息子と二人暮らしだった。その一年前は、しのぶも含めた三人暮らしだったし、そのまた四年前までは夫の満も一緒に暮らしていた。現代人から見ると十分寂しくはない環境だろうと想像する。だが、ぶっこちゃんの過去を辿ると、その時代の多くの人がそうであったように、もっと大家族が一般であった。
ぶっこちゃんは七人姉妹だし、両親に祖父母も居て、更に丁稚さんやら小さい縫い物工場の女工さんなんかが同じ屋根の下に大勢で暮らしているのが当たり前の日常だった。同じ家に十七~八人は暮らしていただろう。
どこに行っても誰かが居て、せわしなく働いている。若しくは談笑したり、子どもたちと遊んだり、恐らくは、一人で何かを考える時間などなかったと思われる。
しのぶが結婚して間もない頃、実家には頻繁に帰っていたのだけれど、家を出る都度必ずぶっこちゃんが玄関外の車道まで見送りに出てきた。普段は無精で座ったら動かないぶっこちゃんが、いくら遠くにいても必ず出てきて家の表へ、更には次の角まで進み、その間しきりにたわいもないことを話しかけるのである。週に三日は帰るのに、何が名残惜しいのかと不思議になる程に、毎度後ろ髪を引かれる思いで実家を去るのが常であった。
ある日、ぶっこちゃんはつぶやいた。
「晩な、寂しいねん」
しのぶは既に道の曲がり角に差し掛かっていたために、何も応えずにそのまま去った。去ったわけではあるが、決して無視したわけではない。帰路、そのことについての妄想が始まる。
息子と二人暮らしのぶっこちゃん。独居でないという点では周囲の心配は軽減される。だがそれは、あくまでも周囲視点である。およそ事故の可能性は低いだろうという点においてである。だが、先に述べたようにぶっこちゃんは大家族で育った。どこに行っても誰かがいるのが常であった。現代人的に考えるとぞっとする環境が、普通なのである。そして、そうした生活がずっと続くものだと信じてやまなかった。信じるまでもなく、考えるまでもなく、そういうものだった。
つまりぶっこちゃんは、今あっけにとられているのである。
あれ、おかしいな。いつからこんなに人がいなくなってしまったんだろう。自分と似たような年の人は次々に死んでいくし、生きていても施設か病院、若しくは家に居るのかもしれないが、うちには誰も来ないし自分も体がえらいから出ることもままならない。
年をとると、体が弱る。それだけでも気弱になるのに、周囲の人もいなくなる。そうした環境からの脱出という意味でもデイサービスがもてはやされているようだが、うーん、しのぶは考えた。ぶっこちゃんがそれを望むだろうかと。答えは即決ノーである。もちろん、デイサービスが悪いというわけではない。若しくは、最初は嫌がっていても通ってみたら楽しいという人や、通う内に楽しめる人もいるだろう。だが、現時点で仕方なく行くという考え方そのものをしのぶは嫌った。
選択は本人の自由だという主義主張を、自らのみならずぶっこちゃんにも適用したかった。
ぶっこちゃんの望みはおよそ見当がついた。
自分は変わらずに家に居る。家族が、親類が、友人が絶えずやってきて賑やかな環境であってほしい。自分が望んでそうなるのではなく、皆が来たくて来る。それが当たり前である状況をぶっこちゃんは夢見るのではないか。ぶっこちゃん自身は自由で、話しかけられたら話してやるし、疲れたら寝る。寂しいなんて考える暇すらない日々。
以前は、ずっとそういう生活をしていたのだから。
しのぶは、ぶっこちゃんと二人で暮らすようになってから、そうした生活を復活させてあげたいと考えていた。ただ、具体的にどうすれば良いのかということがまだ、見えないでいる。