コロンブスの卵🥚 MVに登場する「エジソンへの手紙」考察
こちらの作品のMVを見たのですが、意味深に登場してくる、いくつかの言葉を見ているだけでも、楽しく明るい曲調の中に、しっかりメッセージが秘められていて、
それを、あえてアジア人の立ち位置や視点から表現したのかも?
と、思ってしまいました。
公開されたコメントでも「差別的な表現に見えてしまう恐れがあるという懸念」は当初からあったとされていらっしゃるので、ギリギリのところを表現しようとしたのではないでしょうか…。
twitter(X)にも少し書きました↓
https://twitter.com/makinoshiki
また、ちょうど今日から1年前にこんな感じのことを書いていました↓
なので、今回のことも
個人的に思ったことをnoteに書いておこうと思いました。
僕個人の立場としては「アート作品は必ずしも世間の物差しと合ってなくてもよい(今回の作品はそれはそれでよい・賛否両論ふくめて作品)」という考え方です。その一方で、コカコーラとのタイアップ曲ということもあり、商業的にも、倫理的にも、今回のMVは企画段階でもう少し議論があってもよかったかもしれないな、とも感じています。
僕がここ note で書くのは作品に対しての批判とか批評ではなく、
ざっとMVを見て、僕が勝手に妄想したこと(あくまで感想文)です。
ミセス炎上
これ何の話をしているかというとですね、
Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」のMVが炎上した件です。
奴隷商人コロンブスに扮して未開の地へ(カメハウスに)やって来て、そこにいた猿を交流(調教)するというイメージのMVが公開され、その内容が問題視されたのです。
偉人? コロンブス
コロンブスって、大航海時代が生んだ冒険家ってイメージもあるのですが、先住民を蹂躙した侵略者の面もあり、特にここ10年くらい後者の暗いイメージが強い感じがします。
なので、その情勢からも残念ながら、ミセス炎上もむべなるかな、と。
アメリカでは、コロンブス・デーといって、1492年10月12日にクリストファー・コロンブスによるアメリカ大陸の発見を祝う祝日があります。これが最近では、侵略された側を考慮して「先住民の日」と変更されたりしています。そういう流れからも、コロンブスは奴隷商人というイメージが、より強くなっているのです。
そんな中、あえて「コロンブス」というタイトルにしたのは、
そこに
「コロンブスのタマゴ」=「独創性、視点を変えた発想」
が、あるようにも感じます。
特に、3人が扮する偉人が
・コロンブス
・ナポレオン
・ベートーヴェン
と、単純に「偉人」としてだけ語ることのできない
どなたも光と影のある人物です。
3人とも、その功績や能力が高く評価される一方で、見方を変えてみると「人間としてはひどい!」とその裏エピソードが話題にもなるような人物たちばかりです。ここにも、コロンブスのタマゴ感があります。
そして、歌詞の中には…
という部分。
侵略した過去がありながら、そのことを「ごめんね」せずに、偉人のようにあがめているヨーロッパ中心史観のことを表現しているようにも感じます。
モンキーアタック(映画)
MVの中に、「モンキー・アタック」というタイトルのビデオテープが出てきます。これはどうやら映画のようで、瀕死のサル(仲間)を抱きかかえながら、猿が空へ向かって泣き叫ぶシーンがテレビに映し出されています。
その映像を、ポップコーンやコーラを飲みながら、テレビ画面ごしに見て
涙する3人と猿たち。
この悲劇、戦い、アタック、叫びは、
もはや、ポップコーン片手に見るエンタメなのです。
これはメディアを通して、エンタメ化されていく、実際に世界で起きている悲劇、戦争などを表現しているようにも思えます。
あと、猿を「類人猿(過去の人類、祖先)」とする視点もあるようなのですが、そうであれば、ここは「monkey」ではなく「ape」になるはずです。ここでもあえて「モンキー」という表現にしています。
また、エジソンへ手紙を書いているシーンもあります。
エジソンへの手紙
机の電球(ライト)が切れて、「ハイ、エジソン」と手紙を書き出す…
とあります。fixは最初「eix」にも読めたんですけど、それだと意味不明なので、まーこれはfix(修理)なのでしょう。電球が切れた後ですし。
意味は、
「こんにちは、エジソン
ライトを修理するにはどうすればいいですか?」
となります。
当然、この「light」には、たくさんの意味がある言葉で、これを使うときは、複数の意味を重ねたりするものです。単純に、光。そして、
輝き、照らす、希望、知識や認識、
ものの見方、導き、夜明け、軽さ、
それに、
「すぐれた指導者」という意味もあります。
どうしようもなくフィックス(治すことの)できない、希望、光がそこにあり、それを過去の偉人(エジソンも光と影のある人物として有名)に手紙でたずねようとする…そんなシーンになっています。
バベルの塔
そして、MVのラストに目に入ったのは、
カメハウスの猿がすべて眠ってしまったのを見届けて、
ホームパーティーは終わり。
その島から去っていきます。そのとき、足元に
崩れたブロックのようなもの、かろうじて「BABEL」と読めます。
これは、もとは旧約聖書の「バベルの塔」からきているのでしょう。
(もちろん BABEL no TOH も)
人間たちがバビロンに高い塔を建てようとしているのを見て、神様は怒り、それまでひとつであった人間たちの言葉を奪った。お互いに言葉が通じないようにした…という物語があります。
人間がバラバラになってしまった。
お互いを理解できないこと…これは現代にも続く人類たちの課題です。
まとめ
僕がざっとMVを見ただけでも、きになった点が他にもいくつも出てきていたので、もっと色々な視点、考察、受け取り方があると思います。また、これらはすべて僕の勝手な妄想であり、単に考えすぎなのかもしれません。
多くのアート作品にはメタファーがあり、それを読み解く部分も、受け手に託されているスペースがあります。その作品に、不自然な表現があれば 自然と「メタファーがあるのではないか?」と意識がいきます。
なぜか サイドミラーに映る少年、
なぜか ワニを飼っている女性、
なぜか みんな動物で描かれた社会、
そこには託されたつながり、メッセージがあるのかもしれないのです。
あなたは、どう感じましたか?