まわたのきもち 第14号
「安心と安全」
中高生の英語と、小学生の英会話を担当しているDaisyが、現在ヨーロッパ各国に滞在している。
小学生の英会話は、現地とオンラインで繋ぎ、Daisyがホームステイしている友人にも登場して頂き、画面を通してではあるが、本物の英語に触れ合う機会は子どもたちにも好評である。
先週の土曜日(7月15日)、Daisyはイスラエル滞在中で、”Hefer valley regional council”という地域のビーチからの生中継。Daisyの友人も登場してくれて、束の間の交流を楽しんだ。そもそも言語というのは文化のひとつなので、オンラインでは、僕は必ず現地の言語以外の文化の紹介もお願いすることにしている。
イスラエルということで、社会科専門の感心が疼き、現地の治安について質問してみた。Daisyは、「ここは安全だと感じています。ただ現地の人に聞くと、実弾を込めた自動小銃を持った兵隊さんが守ってくれているから安心だと言っています。日本とは、安心・安全の概念が違います」と答えてくれた。
実弾を装填した自動小銃を携行する軍隊(自衛隊員)が街中にいたら、日本では間違いなく危険な状況だろう。そういう治安維持をしなくても良い、というだけでも幸せなことなのかもしれない。
そもそも、安心とか安全とは、一体何なのだろう。言葉尻を取るなら、安心とは心境のことで、主観的な表現だ。一方安全とは状況のことで、客観的な要素を多分にもっている。言い換えれば、安全な状況でなければ安心は生まれないが、安心という主観的要素がなくても安全は作れるのだ。具体例を出して考えればわかりやすいかもしれない。アメリカの国家安全保障会議のデータによれば、飛行機の事故で死亡する確率は0.00048%。一方で自動車事故で死亡する確率は0.9%。飛行機よりも自動車事故で死亡する確率は、実に約2000倍高いが(つまり自動車よりも飛行機のほうが約2000倍安全)、「空を飛ぶ」という飛行機の特性上、安心して搭乗できない人は多いのではないかと思う。安全な状況とは数値で測りやすいものではあるが、安心という主観的要素は、数値では測れるものではないのだ。
さて、少々前置きが長くなってしまったが、僕はここでイスラエルの治安のことや、飛行機事故の確率のことや、自動車の安全運転について議論をしたいわけではない。子どもを預かることを生業としている身として、特に子どもの安全と安心について考えておこうと思い立った。
日々、子どもの命を預かりながら勉強に伴走する「学童保育型学習塾」を運営している立場からすれば、保護者の安心感が無ければ、我々の仕事は成り立たない。その保護者の安心感というものを作り出すための最低条件は、子どもが安全に過ごすことができるという環境にあることは言うまでもない。その環境とは、言うに及ばず、「子どもが心身ともに傷付かずに帰ることができる」という環境のことだ。
では保護者の安心感とはどうやって生まれるのか。それは、「安全であるという状況の情報を、正確に発信する」ということに尽きる。浅間山荘事件を取り上げた映画『突入せよ』で、宇崎竜童は現場の情報を取り仕切る警視、宇多川真一を演じたが、「人間は、とかく自分に都合のいい情報ばかり流したがる。しかしトップの判断に必要なのは、正確な現場情報だ」というセリフを言っていたことが印象的だった。映画のセリフではあるが、言い得て妙とはこの場面のことだった。
いくら安全な状況を作っても、その情報を発信していなければ安心感は得られない。もちろん、安全ではない状況の情報を発信しても安心など得られるわけもない。安全な状況を作りつつ、その情報を適切に発信していくことが重要だということになるのなら、ほとんど動かしていないインスタグラムの活用も、本気で検討しなければならないなぁ、なんて思うに至ってしまった。