MAKInote

札幌で、学童保育と学習塾を合体させた”学童保育型学習塾イデア”という、少し変わった学習塾の塾長をしています。 月に2回、保護者向けにエッセイを発行するという苦行を自らに課したため、その内容をnoteでも公開することとしました。

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札幌で、学童保育と学習塾を合体させた”学童保育型学習塾イデア”という、少し変わった学習塾の塾長をしています。 月に2回、保護者向けにエッセイを発行するという苦行を自らに課したため、その内容をnoteでも公開することとしました。

最近の記事

まわたのきもち 第20号

「パレスチナ問題に思う」 ウクライナとロシアは戦争状態が続き、今度は、イスラエルで、イスラエルとハマスが戦争状態に入った。また、たくさんの人が犠牲になる。人類とは、なぜこんなにも愚かなのか、とも思う。 しかし一方で、イスラエルにはなぜ「パレスチナ」という自治区が存在し、海と壁に囲まれた日本の種子島ほどの大きさ(幅5km×長さ50kmほど)の「ガザ」という地区が存在しているのか、ということに思いを致す人がどれだけいるだろうか。僕はここで、イスラエルのこと、パレスチナ(ハマス

    • まわたのきもち 第19号

      「つながり」 人とのつながりが大切だということを、否定する人はまずいないだろう。 僕自信も、人とのつながりを大切にして生きてきたつもりではある。もちろん、41年間生きてきて、何となく途切れてしまった繋がりもあるし、あるいは意図的にそうしたつながりもあるし、逆に今、助けてもらっている昔からのつながりもある。 学校の長期休業中は、教科の勉強を大切にしつつも、それだけではなく体験活動の楽しみも味わって欲しいと考え、製作体験の機会を設けることを常としている。そこで講師をお願いし

      • まわたのきもち 第18号

        「守るべきものと手放すもの」 学校は、守るべきものと手放すべきものを、今一度整理すべきである。そう思ったのは、小学生の夏休みが明けてすぐのことだった。 かつて、教育行政の要職を歴任し、教育学の研究者に転じた伊藤俊夫という先生がいる。筑波大学の母体である東京教育大学を卒業後、前橋市教育委員会、群馬県教育委員会、文部省(現文部科学省)で要職を務められ、平成3年に東京家政大学文学部の教授になられた先生で、地域と学校の関わりについてご造詣が深かった。残念ながら2020年にお亡くな

        • まわたのきもち 第17号

          「勉強は選択肢」 勉強は選択肢を増やすことである。 イデアは子どもの入塾の際、必ず保護者の方に面談をお願いしているので、そのことは僕の信念として伝えるようにしている。「なぜ勉強するのか」あるいは「勉強よりも大切なものがある」という疑問や考えがあることは承知しているし、そのことに対する一定の理解もあるつもりではいるが、すでにそのことへの回答(あるいは反論)は、自分の中では明確になっている。 僕は小学2年生から野球を始め、大学まで続けた(大学時代は部活ではなく朝野球チームの

          まわたのきもち 第16号

          「ルーツから見えてきたもの」 「根源」「祖先」という意味を指す言葉に、『ルーツ(roots)』というものがある。 自分のルーツを知ることは、自分で自分の立ち位置を確認する上でとても重要である。僕は子どもの頃から一貫してそんな考えを持っていて、その考えを土台にして学んできた。  今年のお盆は、自らの故郷に帰省することをせずに、義母の実家のお墓参りのため、函館に赴いた。義両親とパートナーを車に乗せ、札幌から片道約250kmのほとんどを運転することになるであろうことを覚悟して

          まわたのきもち 第16号

          まわたのきもち 特別号

          「2023年号外的夏休み特別号」 このエッセイは、2週間に1回というペースで、細々と続けていくことにも1つの意味があると思っているから、いわゆる“ネタ”は取っておいた方がいいに決まっているのだが、夏休みも終盤、その貴重な“ネタ”を使ってしまうことになっても、特別号を書いてみようという気になった。 平成17年に亡くなった母方の祖父は、このエッセイの13号の話題でも触れたのだが、僕が高校2年生だった年の8月15日、お盆のお墓参りに母の実家に行った際、「終戦記念日だね」と言った

          まわたのきもち 特別号

          まわたのきもち 第15号

          「言葉を思う」 「齢65歳を超えて、見えていないものが何か見えてきました」  今年の春、学部生時代、大学院生時代を通して大変お世話になった日本語教育がご専門の先生から、そんなメールを頂戴した。35年間、日本語教育にただただひたむきに向き合われた先生であり、特に「日本語の語彙の習得過程」にご造詣が深い先生だった。僕は教育計画論を専攻していたので、同じ教育学とはいえ専門領域は全く違ったのだが、本当によく可愛がってもらい、毎週のように先生の研究室で色々な議論をさせてもらったもの

          まわたのきもち 第15号

          まわたのきもち 第14号

          「安心と安全」 中高生の英語と、小学生の英会話を担当しているDaisyが、現在ヨーロッパ各国に滞在している。 小学生の英会話は、現地とオンラインで繋ぎ、Daisyがホームステイしている友人にも登場して頂き、画面を通してではあるが、本物の英語に触れ合う機会は子どもたちにも好評である。 先週の土曜日(7月15日)、Daisyはイスラエル滞在中で、”Hefer valley regional council”という地域のビーチからの生中継。Daisyの友人も登場してくれて、束

          まわたのきもち 第14号

          まわたのきもち 第13号

          「夏という季節」 「蛇を食べれられればご馳走。美味くは無いが、ネズミも食べた」 平成17年に亡くなった母方の祖父は、従軍の経験を、なぜか僕にだけは話した。娘である僕の母も、戦争中のことを聞くと不機嫌になるから、と言って聞けなかったと言っていたが、お盆やお正月に母の実家に顔を出すと、祖父は僕にだけはこっそり話してくれた。気象隊の将校だった祖父の家には、GHQから隠し通したという軍刀も残っていた(もちろん教育委員会発行の登録証は備え付けてあった)。 祖父は旭川の部隊にいて、

          まわたのきもち 第13号

          まわたのきもち 第12号

          「当たり前」 政府から、「こども未来戦略方針」が発表された。 僕はその要旨しか読んでいないが、完璧な政策というものは存在せず、だから国民全員が納得できる政策というのも存在しない。しかし、2030年代に入るまでに少子化の打開策を見つけ、具体的な施策に打って出ないと、将来にわたって急速に進む少子高齢化を反転できないという統計は、概ね納得できる。だからこそ、「安心して子を産める社会」を目指す施策になっていることも理解できる。 大雑把に言えば、「日本は子を産み育てやすい社会です

          まわたのきもち 第12号

          まわたのきもち 第11号

          「人間化、を考える」 “Soon ah will be done”という合唱曲がある。  僕が3年間を過ごした中学校は、「合唱による学校づくり」が盛んな学校で、音楽の授業は合唱が中心だった。10月にある合唱コンクールで最優秀賞をとった僕のクラスは、町のイベントや高齢者施設での合唱披露など、学校外で歌う機会もたくさんあった。僕は、「音痴だから歌いたくない」という安易な理由で指揮者をしていた。“Soon ah will be done”は、そんな中学時代にクラスで歌った曲の1

          まわたのきもち 第11号

          まわたのきもち 第10号

           「ピアノが消えたことから思う」  大学の予算削減・資金確保のため、2部屋のピアノを徹去する。  今年の冬、東京藝術大学(以下、「藝大」)のそんな情報を知り、衝撃を受けた。  日本が各都道府県に国立大学を設置し、地域によらずあまねく大学教育の機会を保障するというこの制度は、この国の発展に一定程度寄与してきたと僕は考えている。これは例えば、今日現在の日本人ノーベル賞受賞者の出身大学が国公立大学の独壇場(28人の受賞者のうち、私立大学出身は2015年に医学生理学賞を受賞した

          まわたのきもち 第10号

          まわたのきもち 第9号

          「恩師」 教員免許を取得しようとする学生は、等しく“教育実習”というものを経験する。 僕も当然、大学4年生の時に実習に行った。中学校と高校の両方の免許取得を目指していた僕は、高校で3週間の実習を受ける必要があった。 実習生の圧倒的大多数は母校に受け入れてもらうのだが、僕は、オホーツク管内にある母校に母親が教員として勤めていたので、母校実習は絶対に嫌だった。そこで、高校時代の3年間担任だった先生が、僕たちを卒業させると同時に胆振管内の高校に転勤していたので、泣きついて元担

          まわたのきもち 第9号

          まわたのきもち 第8号

          「保護者の参画」 統計的に見てみると、2020年の国勢調査と厚生労働白書では、核家族もしくはひとり親の世帯は2395万世帯、そのうち両親ないしひとり親が仕事をもっている家庭が1745万世帯だった。72%以上という圧倒的大多数の家庭が、ひと昔前の行政用語で言うところの、「保育に欠ける」家庭だということになる。  その働く親を支える社会的仕組みも、徐々に整備されてきた。その整備の歩みは、まさに牛歩の如くゆっくりとしているが、それでも少しずつ前には進んでいる。しかし僕が課題だと

          まわたのきもち 第8号

          まわたのきもち 第7号

          「家庭学習とはなにか」 ここに、1枚のプリントがある。 『家庭学習のススメ』と書かれたそれは、今年度始業式のすぐ後に学校で配られた。イデアに通う子どもたちが学校から持ってきたもので、家庭での学習環境から取り組む内容、そして親のかかわり方まで、実に細かく書いてある。  僕は前々回のエッセイで、宿題を無くし家庭学習にシフトチェンジすることを含め、下校時間や時間割編成の仕方などを変更する学校の判断を取り上げ、それを肯定的な見方で書いた。しかし、この『家庭学習のススメ』だけを見

          まわたのきもち 第7号

          まわたのきもち 第6号(2023年3月27日)

          「なぜ、伸びるのか」  今年のイデアの高校入試は、全員が第一志望校に合格する全勝だった。  正直に言うと、今年は苦労した。入塾前の面談の時から、大人への敵意丸出しの子もいた。「高校はどこでもいいです。将来の夢はありません」という子もいた。持病に苦しんだ子もいた。そんな子達が夢を見つけ合格の報告に来た時の笑顔を見る時こそ、この仕事冥利に尽きる瞬間だが、そんな幸せな瞬間をくれる子たちが育つこの社会には、いまだ非合理的で理不尽なことがあふれている。特に子どもの身に降りかかるそれ

          まわたのきもち 第6号(2023年3月27日)