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まわたのきもち 第7号

「家庭学習とはなにか」

ここに、1枚のプリントがある。

『家庭学習のススメ』と書かれたそれは、今年度始業式のすぐ後に学校で配られた。イデアに通う子どもたちが学校から持ってきたもので、家庭での学習環境から取り組む内容、そして親のかかわり方まで、実に細かく書いてある。

 僕は前々回のエッセイで、宿題を無くし家庭学習にシフトチェンジすることを含め、下校時間や時間割編成の仕方などを変更する学校の判断を取り上げ、それを肯定的な見方で書いた。しかし、この『家庭学習のススメ』だけを見る限り、その見方は変わりつつある。

 そもそも、家庭学習の目標を、このプリントでは、「自ら進んで意欲的に学習する子ども」を育てることに据えている。このこと自体は賛同できる。しかし、問題はその手法だ。

 目標時間は、「学年×10分」が基本であるとし、その成果は、基本的に全員が毎日担任へ提出することとしている。しかし、問題集やワークを用意してそれに書き込んで勉強する、というやり方ではなく、学校で指示した様式のノートに問題を書き写し、それを提出するのだ。

 さらに、親のかかわり方にもついても、学習環境を整える一環として、「家族も一緒に『学習のようなこと』をする」ことが勧められていて、低学年の親は「家族もそばについて見守る」こと、中学年の親は「励ましやアドバイスも大切。ほめるときは具体的に」、高学年の親は「見守って伸ばす。自己肯定感を育てる」ことなど、具体的に言及している。つまり、「勉強する内容は自由に決めてね。でも、指定したノートで勉強して、毎日提出してね。親はそばで見守るか、できれば一緒に勉強みたいなことをして、褒めて伸ばしてね。」と言っているのである。“子どもの主体性を伸ばすため”に、“型にはまった自主学習”を勧めているこれは、矛盾でしかない。例えば、取り組みの例のひとつとして挙げられている「音読」は、指定されたノートにどう書けば良いのか……。主体性を育むと言いつつ、型にはめて管理だけはする、実に旧態依然とした日本的な手法だ。

このプリントを見た保護者は、大混乱である。学校が勧める通りできる家庭が、どれだけあるだろうか。夜勤がある親もいる。残業で遅くなる親もいる。毎日体力を使う仕事で疲れ果てる親もいる。そして、ひとり親で懸命に子育てをしている親もいる。僕の母親は教員だったが、毎日一緒に勉強してくれるほど、家で時間的余裕はなかった。父親は役場職員で建設畑が長かったが、冬は雪が降ると道路の除排雪を指示するために朝3時には出勤するから、夜7時には床についていた。だから僕は、親と一緒に勉強した記憶はない(そもそも毎日家庭学習はしなかったのだが)。

 新年度を迎え、この家庭学習の取り組み方がわからず途方に暮れた親御さんから、入塾の相談を受けることが多くなった。そして、1年間通ってくれたお子さんの親御さんは、「イデアに任せていいんですよね」と確認してくれる。もちろんイデアでは、型にはめられ指定された家庭学習ノートを、型にはまらない学びの成果で埋めつくしていく。

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