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まわたのきもち 第6号(2023年3月27日)

「なぜ、伸びるのか」

 今年のイデアの高校入試は、全員が第一志望校に合格する全勝だった。

 正直に言うと、今年は苦労した。入塾前の面談の時から、大人への敵意丸出しの子もいた。「高校はどこでもいいです。将来の夢はありません」という子もいた。持病に苦しんだ子もいた。そんな子達が夢を見つけ合格の報告に来た時の笑顔を見る時こそ、この仕事冥利に尽きる瞬間だが、そんな幸せな瞬間をくれる子たちが育つこの社会には、いまだ非合理的で理不尽なことがあふれている。特に子どもの身に降りかかるそれは、ほとんどが大人によってもたらされる。

戦後から昭和50年代頃まで、体育会系には“うさぎ跳び”というものがあった。足の筋肉を強化することに加え、“根性”が身に付くと信じられていたそれは、効果はなく膝を悪くする危険性だけが増大すると医学界から完全否定をされ、昭和の“悪いトレーニング”の代表格となった。

 幸いにしてスポーツ界から“うさぎ跳び”は追放されたが、非合理的で、子どもに悪影響を与えかねない環境は、いたるところに転がっている。大人の満足感のために作り出される“まとまりのある集団”や、その集団で強要される行事やイベント。幼児期の科学的な学習の否定と妄信的な情操教育至上主義などは、子どもの意思とは関係なく作り出される、実に“昭和的”な手法だ。

 小学2年生から大学までを野球部員として過ごした僕は、まさに昭和的な根性論が根強く残る中で生きてきた。僕の世代は、「バテる」という妄信のために、猛暑の中で水分補給をさせてもらえなかったおそらく最後の世代である。大学院で学んだ後に社会に出てから、高校時代の監督のつながりで、3年ほどある高校の外部コーチをさせてもらったことがある。道内の甲子園常連校と合同練習をさせてもらった時、相手校の選手が言っていた言葉が印象深かった。「毎朝の素振りは、毎日のハミガキと同じです」。根性論よりも習慣化の必要性を意識し始めることになるきっかけだった。

 そしてイデアで、情操教育至上主義への妄信により、文字や数字に触れることを否定されて小学校に入学し、毎日授業についていくために苦悩している子を見て、その妄信の弊害を知った。

 だからイデアでは、勉強の習慣化を何よりも重視する。就学前に文字も数字も全く知らなかった子が1年経つと、放課後に1日2時間を超えて勉強できるようになる。あの「将来の夢はありません」と言っていた受験生は、1年を経て、入試を終えた日もイデアに来て勉強し、卒業式の日も、春休み中も通い続け、「社会科の教員になるために大学に行きたいです」と言うまでになった。

 イデアは、大人を満足させる“まとまりのある集団”とは対極の集団である。むしろ、集団であって集団ではなく、それは「個性の集まり」である。僕はその子たちには今、どんな関わりが必要なのかを考え、一人ひとりの特性や個性、背景といった文脈を活かした学び方を探し続けている。小学生は毎日のお迎えの時に、時には立ち話で、時にはデスクで腰を据えて保護者と面談することで、日常的に保護者と共にその子の未来を想像する。その結果が、全員が果たした通知表の「たいへんよい」の増加であり、内申ランクの上昇であり、志望校の合格である。

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