まわたのきもち 第9号
「恩師」
教員免許を取得しようとする学生は、等しく“教育実習”というものを経験する。
僕も当然、大学4年生の時に実習に行った。中学校と高校の両方の免許取得を目指していた僕は、高校で3週間の実習を受ける必要があった。
実習生の圧倒的大多数は母校に受け入れてもらうのだが、僕は、オホーツク管内にある母校に母親が教員として勤めていたので、母校実習は絶対に嫌だった。そこで、高校時代の3年間担任だった先生が、僕たちを卒業させると同時に胆振管内の高校に転勤していたので、泣きついて元担任の勤務校で受け入れてもらった。今考えたら、とてつもなくレアケースではある。ただでさえ忙しい学校が実習生を受け入れるということは、仕事が増える以外の何物でもないけれど、「卒業生だから」という理由で受け入れる、というのが大半なのだ。
今年の3月、その元担任の先生と、その時に教科の指導教官を引き受けてくださった教科指導の先生とお会いする機会を得た。僕の場合、取得する教員免許はいわゆる社会科(正式には、“地理歴史科”と“公民科”)で、元担任の先生は数学科の先生だったので、担任業務の指導教官と教科授業の指導教官の2人体制で指導をしてもらった。担任の先生とは、これまで折を見て会うことができていたが、教科の指導教官の先生とは、約18年ぶりの再会。今ではお二人とも、誰しもが認める札幌市内の進学校で分掌部長職・学年主任職をお勤めの実力者だ。
「あなたにひとつ謝ろうと思っていたんだ」と、唐突に教科指導をしてくれた先生がおっしゃった。「倫理の授業、あなたは輪廻転生の説明をどうしようか悩みに悩み、『食物連鎖で例えようと思うのですけど、どうですか』と訊いてきた。僕は、『やってみたらいい』と言ったのだけど、今なら絶対止める(笑)」と、先生はそうおっしゃったのだ。
その授業のことは鮮明に覚えていた。「人は何度も生まれ変わり生死を何度も繰り返す。生まれ変わる時に何に生まれるかは、今の行いによって決まる。」という、仏教の考え方が輪廻転生。これを授業で説明しなければならず、実際に体験できないこの考え方を、何とか噛み砕いて生徒に話そうと悩んだ。それで、実際に食物連鎖に例えて話したのだが、聞いていた生徒たちは明らかに訳がわからい表情をしていた。恥ずかしい限りである。そして、僕の教育実習が終わった後に、この先生は、きっと僕の授業を否定することなく正しい知識でフォローしてくれたのだと思う。
この先生から学んだことは何か。輪廻転生に関する正しい知識ではない。正しい知識は、何十回も読み込んだ倫理の参考書に書いてあった。それよりも僕は、やりたいと思ったことはやらせて、それが駄目なら、大人が責任をもってフォローする。という、懐の深い姿勢を学んだのだ。そこには当然、僕の言う通りにやらせてみても後からフォローできるという見極めもあったはずだ。
子どものことを思うあまり、「あれは駄目」「これは禁止」と、ついつい口うるさくなってしまう。本当の自由とは何か。もう一度考えよう。