いつまでも残ってほしいもの
私は散歩が好きだ。
目的地も決めずに、知らない街をただただ歩く、何もない時間。
はじめて見る公園や、趣のある古い建物、謎のオブジェに、うまく隠れている動物たち。木々の隙間から差す白い光、そこから上を見上げると、木は影になり、まるで加工したかのような青空。吹く風も、少し疲れた足も、毎日の生活で疲れた心を癒す、何もない、でも、大切な時間。
中でも楽しみにしているのは、家から歩いて行ける場所にある小さな飲食店を探すことだ。
住宅地に突然現れる看板。かわいいロゴや、渋いのれん、手書きのメニューに癒される。
「今度いきたいね」というお店がどんどん増える。
時には、どきどきしながら店内に入り、まるで初めての街に旅行にきているような、わくわくとした特別な時間を過ごすのだ。
最近の旅行では、大手食レポサイトで検索し、星の数やメニュー、口コミなんかも調べ上げ、失敗ないように入念にお店を選ぶ。それに慣れてしまっていることも相まって、自分の足で、感覚で、お気に入りのお店を増やすことが、宝探しのようで面白い。
そうやって、探し当てた、家の周りにあるいくつかの特別なお店は、何もない休日をいつでも特別で素敵な時間にしてくれる。
そう、ずっと前から、こんなにも自分の人生を鮮やかにしてくれていたことに気づいたのは、実は最近のことである。
みんながそうであったように、今年の3月頃から、私の休日の過ごし方は一変した。
家の中で朝から一日中の時を過ごし、自炊の回数は増え、お気に入りのお店を訪れることはなくなった。そういった生活が2~3週間続いたころ、Twitterでとあるツイートを目にするようになった。「飲食店の経営難」に関する内容だ。どきりとした。
もし、大好きなあのお店が無くなってしまったら…?大手食レポサイトでの評価は決して高くなく、ひっそりと、でも、しっかりと周囲の住民に愛されている「あのお店」がもし、「万が一」でも、無くなるようなことがあれば、、、
いくつかのお店をネットで検索した。中には、持ち帰りを始めたお店もあったが、なんの情報も発信していないHPを持たないお店も多く存在した。
私は、夫と相談して、お店の様子を見に行くことにした。どうか持ち帰り営業をしていて、なんとか、営業を続けていてほしいと思いながら。いつもの散歩に比べると急ぎ足で、わくわく感は一切なかった。
こうなって、初めて気が付いたのだ。「自分の大切なお店」であることに、なぜもっと足を運ばなかったのか、もともと、利益がでているのかしらんと心配になるお店もいくつかあったではないか。
お店までの道のりで、1つの飲食店には「コロナの影響で閉店する」旨の張り紙を見つけた。焦る気持ちが、足に伝わり、どんどん速度があがっていく。
なかでもとびきりお気に入りのイタリアンのお店の前についた。どうやら看板はでているようだ。急いでお店の前までいくと、いままではなかった張り紙があるのがわかった。背筋が伸びるのを感じる。
「全商品デリバリーやってます」
わっと、つい声にでてしまった。伸びた背筋が緩むのを感じた。
夫と顔を見合って、よかったね。よかった。と言い合った。
お店にはいるといつもの店主が、いらっしゃい。といつものように声をかけてくれた。どうしようか悩んでいると「持ち帰りですか?」と声をかけてくれた。私たちはうなずいて、いつもの、幸せな気持ちになれるお気に入りのメニューを注文した。
20分ほど散歩して、できたての料理を受け取り、家に戻った。
熱々のピザから、いつものあの匂いがもれて、ついつい、お腹がなった。
家につき、少し冷めたピザは、それでも私たちを幸せな気持ちにするには十分だった。
こんなことがあって、初めて、自分の日常を鮮やかにしてくれていたお店たちに気が付くなんて、自分の感性に呆れはしたものの、同時に気が付けてよかったと心からおもった。
「毎週いろんなお店にいっぱい行こうね」
私たちは、お気に入りのお店を助ける気持ちで、色々なお店に通ったのだ。
しかし、なんということか、助ける気持ちであったのに、逆に助けられたのは自分たちだということにもだんだん気が付いてきた。毎週、どのお店にいくか相談し、持ち帰り、食事をする。家であってもまるで旅行のような特別な時間に感じることができたのだ。
国から1人10万円の給付金が支給されることが決定した。
最初は、新しいPCが、家電が、はやりのゲーム機が、などと話していたが、コロナ渦で困っているところに還元したいね。という話になり、自然と、お気に入りのお店に使いたいね。ということで話が一致した。
じつは、ここまで長々と書いているお気に入りのお店についても、「いつまでも残ってほしいもの」と認識できたのは、この給付金がきっかけなのだ。
給付金の話が出て、初めて、なぜあんなにも背筋が伸びる気持ちがしたのか、なぜあんなに足が急いだのか、なんでほっとしたのか?の意味を考えることができた。
宝くじが当たったら?なんて話は、いままで何万回とくりかえしてきたけれど、「給付金」の持つ意味が、私に特別を認識させてくれたのだ。
いつまでも残ってほしい。
私の特別なお気に入りのお店に、それでも感謝を伝えることは、今後もないと思う。
ただ、「ごちそうさまでした!おいしかったです!」と言って、通い続けるのだ。
この記事が受賞したコンテスト
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?