知床の山と海
先月末は久しぶりに地元に帰ったり、今月は東京では久しぶりにぐだぐだになるまで飲んだり、数年ぶりに再会した下町のお祭りに行きました。ライブがないのをいいことに遊んでばっかりいるね?
いろんな人といろんな過ごし方をする中で、家族があってこそ私が存在しているし、魚や海を含む自然が好きという大前提で、私は社会と関わっているのが好きなのだなと改めて思いました。
それがお仕事でも、音楽でも、習い事でも、水産女子メンバーやお友達でも、外に出たり繋がりがあるととても楽しいし生き生きできる。
私はたまたま音楽と魚(魚食)が人や社会と繋がるのに適したツールだったみたい。
でも人間が好きかって言われると別に・・・だし、一人でいるのが好きだし、対人関係もうまくない。だけれども社会と関わっていたい。自分の知る範囲で感情を持っている個の人間は好き嫌いあるけど、社会を構成する一要因としての「人」はとても興味深いしもっと知りたい。
家族と自然があれば幸せで他に何もいりません!とは思えなくて(そういう幸せや、そういう生き方をしている人たちを否定するつもりは全くなく、自分の性格の話)、それらがありつつも、じゃあ他の地域に住んでる人はどんなだろう、知らない人の前でライブをやったらどんな反応だろう、と次々イメージが膨らんで実際に見に行ったり足を運んだりしてしまう。
で、おもしろいことや感動したことがあったら他の人にも伝えたくなってしまう。その形はこうやって文章かもしれないし、SNSかもしれないし、音楽でかもしれない。
インスタにはこの投稿だけで写真10枚載せたから、時間ある時に良かったらって感じなんですが、何を伝えたいかと言うと知床峠に降り立った時に、この山々を工事して道を作って町と町を繋いだのって半端ないな~という先人たちへの感嘆とリスペクトです。
余談ですが数年前に白川郷に行った時も同じことを思いました。雪が降る地域で工事期間も限られる中で、一体どれくらいの苦労があっただろうか。
こういうのを目にした時に、「人間ってすごい!!!」と感動するのです(携わった人の中には利権だとかあったかもしれないし、作業員同士や上司部下で合う合わないとかあったと思うけど、そういうのはあまり関心がないせいかいつも度外視してしまう)。
と同時に自然への畏怖も忘れちゃいけないし人間が何でもできるって驕っちゃいけない。知識や技術は、破壊ではなく人を幸せにするために使うべきだと常々考えています。
そういう価値観をわかり合えない人間は私は苦手。うまくお付き合いできる程器用じゃない。
何十kmも緑と道しかなくて、万が一何かあった時に頼りになるものはなく、夜は絶対怖いだろうなと思いました。
山が夜の間に動いて朝戻ってきてスンってしてたり、妖怪の一つや二ついても驚かないし、そりゃあ民話や神話が存在しててもおかしくないと、妙に納得しました。
普段はお友達とか身内とかじゃなくても、タイミングでこういうことを話し合える人たちに出会えたらいいなって思う。