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「話したいのに、もうちょっと話してみようかな」って思えないとき
この記事の続きなんだけどね、たくさんのアクセスありがとうございます。
関係が遠くなってしまった人や、話してみたい人がいる。そんなとき、「もうちょっと話してみようかな」って思えるなら、それが一番いい。
でも、実際にはそう思えないときの方が多いんじゃないかって思う。
気持ちが冷めたわけじゃない。
相手が嫌いになったわけでもない。
ただ、どこかで「もう前みたいには戻れないかも」とか、「わざわざ話しかけても、またモヤモヤするかも」っていう不安があるから、動けなくなる。
どうしても、踏み出せないときって、どうしたらいいんだろう?
「話したいけど話せない」のループ
たとえば、すごく仲が良かった友達。
気づけば少しずつ距離ができて、最後にまともに話したのがいつだったかも思い出せない。
「話したいな」と思うけど、もし久しぶりに話しかけて微妙な反応だったら?
気まずくなったら? 余計に距離ができたら?
そんな風に考えると、やっぱり何もしない方がいい気がしてくる。
一回「何もしない」を選ぶと、次もまた「まあ、いいか」になって、どんどん自分から遠ざかってしまう。
で、気づいたときには、もう手を伸ばせない距離になってる。
これ、別に友達に限らないよね。
職場の人とか、家族とか、恋人とか、どんな関係でもあると思う。
「話したいけど話せない」って気持ちが積もっていくうちに、「もう話さなくてもいいや」になって、気持ちが麻痺していく。
「戻れない」の正体
「前みたいには戻れない」って、よく思う。
でも、そもそも「前みたいに戻る」って、そんなに大事なことなのかな?
関係って、時間とともに変わるものだし、たぶん前とまったく同じにはならない。
でも、それって「ダメになった」ってことじゃなくて、「違う形に変わる」ってことなのかもしれない。
前みたいに毎日話さなくても、
たまにちょっと話すだけでも、
関係は続いていく。
戻らなくても、新しい形で続いていくなら、それでいいんじゃない?
「何もしない」より「小さく動く」
正直、いきなり「よし! 話しかけよう!」みたいな気持ちにはなれない。
だから、ほんのちょっとだけ「小さく動く」のがいいのかもしれない。
たとえば、
相手のSNSをちょっと見る。無理にリアクションしなくてもいいから。
思い出したタイミングで、そっとメッセージを送ってみる。長文じゃなくてもいいよね。
「話しかける」じゃなくて、「話しやすい空気を作る」挨拶だけしてみるとか。
小さな動きなら、ハードルは低い。
それで、もし相手が反応してくれたら、そこでまた考えればいい。
関係を続けることって、大きなアクションじゃなくて、
「もう少しだけ話せるかも」っていう、小さな積み重ねなんじゃないかな。
「縮こまる」のをやめる勇気は、ちょっとずつでいい
人間関係が変わっていくのは、仕方ないこと。
でも、変わったからといって「もう終わり」じゃない。
「もう前みたいには戻れないから、何もしない」じゃなくて、
「前と違ってもいいから、少しだけ関わってみよう」って思えたら、
たぶん、関係はなくならない。
縮こまってしまった自分を、無理に広げる必要はない。
でも、「このままでいいのかな?」って少しでも思うなら、
ほんのちょっとだけ、動いてみてもいいのかもしれない。
傷つかないために距離を取るのも、間違いじゃない。
でも、「本当は話したい」「本当は近づきたい」って気持ちまで、
縮こませなくてもいいんじゃないかな。
焦らなくていい。
少しずつ、少しずつ。
「もうちょっと話してみようかな」って思える日がくるまで。
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