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“がんばる”と”自然に出来る”の違いを見極めろ!

「頑張らないといけないこと」と、「自然にできること」って、どう違うんだろう?

よく「努力は大事」と言われるし、それはその通りなんだけど、なんでもかんでも「頑張ることが正解!」と思い込むと、しんどくなることがある。

かと思えば、「好きなことをやればいいんだよ」なんてアドバイスもあるけど、最初から何も頑張らずにうまくいく人なんていない。

じゃあ、どこまでが「頑張るべきこと」で、どこからが「頑張らなくてもいい領域」なのか?
その境界線がわかれば、余計な努力を減らして、エネルギーを本当に必要なところに注げるんじゃないか?

そんなことを考えながら、自分の経験を振り返ってみると、「ああ、あの時は頑張るべきだったな」とか「これは頑張る必要なかったかもな」って思うことがいくつかあった。

今日は、そんなぼくの「努力論」をお伝えします。あくまで、ぼくにとってのなのですが、ヒントになれば嬉しいな。

最初は“頑張ること”だったものが、いつの間にか“自然にできること”になっていた話


ココナラの電話相談も、noteを書くことも、最初は完全に「頑張ること」だった。

電話相談なんて、最初はもう緊張の連続。

「うまく話せるかな」
「ちゃんと価値あるアドバイスができるかな」
「変なこと言ったらどうしよう」

そんな不安を抱えながら、1本1本、めちゃくちゃ気合を入れてやってた。
終わったあとも、「ちゃんと話せてたかな?」って何度も振り返ってたし、正直めちゃくちゃ疲れてた。

noteも同じで、「本当にこれでいいのか?」「読まれるのか?」って思いながら書いてた。
毎回、投稿ボタンを押すのにちょっと勇気がいった。

でも、気づけば今では、電話相談もnoteを書くのも、「頑張る」というより、ほぼ「自然にやってること」になっている。
気合を入れなくても、なんとなく普通にできる。

しかも、ココナラも当初の心配は的外れだったことに気づくのは、かなり後の話。笑


そう考えると、「頑張るべきこと」っていうのは、ある程度の時間をかけて続けることで、「自然にできること」に変わるんじゃないか? って思う。

でも、頑張り続けなきゃいけないものには注意が必要


もちろん、「頑張ればなんでも自然にできるようになる」とは限らない。
何をやっても、ずっと「頑張らないとダメ」なものもある。

昔、プログラミングを勉強しようとしたことがあったんだけど、これが全然ダメだった。

「これからはITの時代だから、プログラミングくらいできないと!」
みたいな感じで始めたんだけど、エラーが出るたびにストレスがすごくて、なんか楽しくない。

HSPっていうHot Soup Processorっていうツールをつかってゲームを作ってた。知ってる人いるかな?雑誌にも載せてもらって嬉しかった学生時代。

その後、DelphyやVisual Cに手を出して、ここで挫折!笑

しかも、何時間やっても「うまくなってる感覚」がなくて、「これ、ずっと頑張らなきゃいけないやつかもな」って思った。

で、やめた。

こういう、「頑張っても、頑張っても、全然ラクにならないもの」は、「そもそも向いてない」のかもしれない。
だから、「頑張ること」と「向いてないこと」の見極めも大事。

今の自分だけで判断しない。「未来の自分」がやっているかどうかで決める

でもここで気をつけたいのが、「今の自分が得意かどうか」で決めると、チャンスを逃すことがあるってこと。

例えば、昔の僕は「人と話すの苦手だから、電話相談なんてムリ」って思ってた。

でも、もしこのまま「今の自分は苦手だからやめとこう」ってしてたら、ずっと苦手なままだったと思う。

そこで考えたのが、「理想の自分」だったらどうか? という視点

「もし、なりたい自分になれていたら、その自分はこれを自然にやってるんじゃないか?」

そう思ったら、「じゃあ最初は頑張ってでもやってみる価値があるかも」と思えた。
結果として、最初は緊張してた電話相談も、今では「普通にできること」に変わった。

つまり、「今の自分が楽にできるか?」じゃなくて、「未来の自分なら、これを普通にやってるか?」を基準にすると、頑張るべきことが見えてくる。

頑張るべきことと、頑張らなくていいことのバランス


結局、「最初の頑張り」は必要なことが多い。
でも、「ずっと頑張り続けなきゃいけないこと」は、もしかしたら違うのかもしれない。

そして、「未来の自分がやっているかどうか」を基準にすれば、
「これは今は大変でも、やる価値がある」と思えるようになる。

だから、「何を頑張るべきか分からない」と思ったら、
「今の自分」じゃなくて、「理想の自分」なら何をしてるか? を考えてみるといい。

そうすれば、「これは最初は頑張るべきことだな」と思えるし、
逆に、「これは頑張らなくていいや」と手放すこともできるようになる。

そして、頑張る価値のあるものなら、いずれ「家に帰るくらい自然にできること」に変わる。
頑張るのは、そこまでなんだろうなと、今は思ってます。

習慣になるまでの努力は、やっぱり必要


ある程度の努力は、やっぱり必要なんだと思う。
どんなに「自然にできること」に変わるものでも、最初は多少のエネルギーを注がないと動き出さない。

例えば、自転車。

子どもの頃、初めて補助輪なしで乗ろうとしたとき、めちゃくちゃ怖かった。
バランス取れないし、フラフラするし、転ぶし、「これ、本当に乗れるようになるの?」って思った。

でも、何度か転びながらも続けてたら、ある瞬間からフッとバランスが取れるようになって、そこからは「考えなくても」乗れるようになった。
もう「頑張る」とかじゃなくて、「普通にできること」に変わった。

この「頑張る → 普通にできる」に変わるまでの期間が、「習慣になるまでの努力」なんだと思う。

どこまで頑張ればいいのか?


「でも、どれくらい頑張れば習慣になるの?」

これが難しいところなんだけど、僕の感覚では「自転車に乗れるようになるくらいの期間」は頑張ってみる価値があると思う。
自転車って、最初は怖いけど、1〜2週間も練習すればだいたい乗れるようになる。

何かを始めたとき、「最初の2週間くらいは、とにかくやる」と決めてみる。
それで、ちょっとでも「お、なんかできるようになってきた?」って感覚が出てきたら、もう少し続けてみる。

逆に、2週間やっても「これは一生頑張らないとダメかも」と思うものは、見直してもいいかもしれない。
向いてないのか、やり方が違うのか。

習慣になるまでの努力は必要だけど、ずっと頑張り続けないと成り立たないものは、どこかでバランスを取ることが大事。

「最初は頑張る、でもずっとは頑張らない」

そんな感覚で、自分にとって「無理なく続けられるもの」を見極めていけると、頑張ることに対するストレスも減るんじゃないかと思う。

じゃあ「習慣になったら努力はいらない?」というと、そんなこともなくて。。

この記事に書きました。よかったら!

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長谷部悠斗//お話を聴くひと😽
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