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「これ、絶対喜ぶでしょ!」と思ったのに、相手は微妙な顔をした話
「自分が嬉しいことは、相手も嬉しいはず!」
そう思ってやったのに、なんか反応が薄い…。
「えっ、なんで?」
「これ、めっちゃいいやつなのに!」
そんな経験、ない?
ぼくは、つい最近、やらかした。笑
自分が「これ最高!」と思うことを、相手も同じように思うはずだと思ってると、けっこうな確率でズレる。
「喜んでくれると思ったのに…」の裏には、意外な落とし穴があるんだよね。
自分が喜ぶことを、相手にもしがち
つい最近のこと。
とあるカフェで、新作のスイーツが出たと知った。
「これ、めちゃくちゃ美味しそう! 絶対食べたい!」と思って、ちょうど近くにいた友達に声をかけた。
「ねえ、ここの新作、すごく美味しそうじゃない?」
「おお、そうなんだ」
「せっかくだし、食べに行こうよ!」
「うーん、甘いのそんなに得意じゃないんだよね」
え?
「いやいや、これ絶対美味しいやつだから!」
「食べたらわかるって!」
そう思って、「まあまあ、試しに行こうよ」と軽く誘った。
でも、なんだか相手は渋い顔をしている。
結局、「じゃあ、俺だけ食べてくるわ…」と一人でカフェへ。
めちゃくちゃ美味しかったけど、なんかモヤモヤが残った。
「これ絶対美味しいのに、なんでわかってくれないんだ?」
「美味しいもの食べるの、楽しくないの?」
でも、しばらくしてふと気づいた。
「あれ、もしかして自分の感覚を押し付けてた?」
そういえば、その友達は普段から「コーヒーとサンドイッチで十分」と言っていた。
甘いものを食べる習慣がないし、「美味しいものを食べに行く」という時間の使い方が、そもそもピンとこないのかもしれない。
つまり、俺が「これ絶対最高!」と思うことは、相手にとっては「いや、別に…」だったわけだ。
“自分の嬉しい”=“相手の嬉しい”とは限らない
こういうことって、日常のあちこちにある。
自分がサプライズが好きだから、相手にもサプライズを仕掛ける。
でも、相手は「心の準備ができてないのは苦手」と戸惑う
自分がアドバイスをもらうのが好きだから、相手にもどんどん意見を言う。
でも、相手は「ただ共感してほしいだけだったのに」とモヤモヤ
自分はプレゼントをもらうと嬉しいから、相手にも高価なプレゼントを渡す。
それでも、相手は「気を遣うから、こういうのは重い」と引いてしまう
自分がされて嬉しいものは、相手も嬉しいはずなのに?
「自分がされて嬉しいことを、人にしなさい」
これって、実は結構危険な思い込みなんだよね。
なぜなら、それは「相手の価値観」を見ていないってことだから。
自分が「これ、すごくいい!」と思っていても、相手にとっては「別に…」だったりする。
それなのに、「わかってくれないのはおかしい」と思ってしまうと、お互いにしんどくなる。
「相手は相手」を意識するだけで、ズレが減る
じゃあ、どうすればいいのか?
めちゃくちゃシンプルだけど、「相手は相手、自分は自分」と意識すること。
たとえば、今回のカフェの件なら、こう考えられる。
「俺は新作スイーツが大好き。でも、友達は別に興味がない」
「俺が楽しめればそれでいいし、友達には友達の楽しいことがある」
そう思うと、「なんでわかってくれないの?」というモヤモヤは消える。
そして、相手にも自分にも「それぞれの楽しみ方」があることを尊重できるようになる。
なんなら、相手が喜ぶことを、相手にすればいい。
これ、恋愛でも仕事でも、めちゃくちゃ大事な視点なんじゃないかと思う。
自分の「好き」を押し付けなくてもいい
自分が嬉しいことが、相手にとっても嬉しいとは限らないし、「これ、絶対いいのに!」と押し付けると、相手がしんどくなることもある。だから「相手は相手、自分は自分」と思うとムダなモヤモヤがなくなる。さらに相手が喜ぶことをすればなおよし。
これを意識すると、人間関係のズレが減って、ストレスがめちゃくちゃ減る。
「自分が好きなものを、相手も好きなはず」
そんな思い込みを手放したら、もっとシンプルに、ラクに生きられる気がするんだよね。
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