見出し画像

普通の日を「大晦日や元旦」のように過ごしてみたら?

ついこの前、2025年が始まったと思ったら、もう1ヶ月。
でも、大晦日や元旦のあの特別感って、すごくない?

「今年も終わりか…!」って、やたらと振り返りたくなるし、
「来年こそは!」って、勝手にスイッチが入る。

みんな、わざわざ寒い中、初日の出を見に行ったり、
初詣に行って神様に誓ったりする。

でもさ、それって結局「気分の問題」じゃない?

太陽は、今日も昨日も明日も、同じように昇る。
1月1日だから特別なんじゃなくて、「特別なものとして扱ってる」 だけなんだ。

だったら、普通の日だって「大晦日や元旦」みたいに過ごせるんじゃないか?

「区切り」って自分で作れるものじゃない?


大晦日がくると、急に「今年はどうだったかな…」って振り返る。
普段は気にも留めてないのに、なぜか1年を総まとめしようとする。

これって、カレンダーが勝手に区切ってくれてるから だよね。いわば、与えられた区切り。

でも、もしカレンダーがなかったら?
そもそも、大晦日や元旦なんて気にしないかもしれない。

つまり、区切りって「決められてるから感じる」だけ。
なら、自分で好きなときに作ればいいんじゃない?
「今日で一旦、この流れをリセットする」
「明日からは、新しい気持ちでやる」

これを、大晦日や元旦じゃなくてもやればいい。

明日の朝は「あなたの初日の出」かもしれない


元旦の朝って、なんか特別な気持ちになる。
「今年はいい年にするぞ」って思ったり、
「よし、今年はこれをやる」って決めたりする。

でも、それって元旦の朝だからじゃないよね?

「初日の出を見るぞ!」っていう気持ちで迎えてるから、特別に感じる だけ。
じゃあ、明日の朝も同じように迎えればいい。
「今日が、もう一度生まれ変わる朝だ」
「新しい1日が始まる」

って思ってみるだけで、意外と気分は変わるかもしれない。

大晦日のように1日を締めくくる


大晦日って、なんとなく「1年の終わりらしい過ごし方」をする。
家でのんびりする人もいれば、除夜の鐘を聞きに行く人もいるし、
テレビで年越し特番を見ながら「今年も終わりか…」ってしみじみする人もいる。

これって、意識的に「終わらせる時間」を作ってる からなんだよね。

普通の日でも「大晦日」みたいに1日を締めくくる

じゃあ、普通の日でも「大晦日」みたいに過ごしてみるとどうだろう?

たとえば、今日の夜にこういう時間を作ってみる。
「今日はどんな1日だった?」と振り返る
「やり残したことは?」と考える
「明日はどんなふうに過ごしたい?」と決める

大晦日と同じように、1日をちゃんと「終わらせる」。

「今年もお疲れ!」って言う代わりに、「今日もお疲れ!」って自分に言ってみる。
「来年こそは!」って思う代わりに、「明日こそは!」って決意する。

それだけで、毎日が「区切りのある1日」 になるんじゃないかな。

特別な日を待たなくても、特別な気分にはなれる


「よし、やるぞ!」って思うのに、大晦日や元旦を待つ必要はない。
「今日を区切りにしよう!」って思えば、どんな日でも区切りにできる。

逆に言えば、大晦日や元旦にどれだけ誓いを立てても、
翌日から何も変えなかったら、意味がない。

だったら、いつでも「新しいスタート」を切れる自分でいるほうがいい。
それこそ、明日でも、来週でも、今夜からでも。

「今日が人生の大晦日」って思って、
「明日が人生の元旦」って思えば、どんな日も意味のある日になる。

区切りなんて、カレンダーが決めるものじゃなくて、自分で決めていい。
そう思えたら、毎日がちょっとだけ新鮮に感じられるかもしれないね。

いいなと思ったら応援しよう!

長谷部悠斗//お話を聴くひと😽
サポートしてくれると、ぼくの活動費に全力で使わせていただきます!✨面白いコンテンツや時には自分へのご褒美に使っちゃうかも(笑)。みんなと一緒に楽しいプロジェクトを進めるために、ぜひ応援よろしくお願いします!あなたのサポートでぼくがさらに素敵な記事が書けちゃいます✨