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マスクの呪縛

私にとっては随分前からマスクは必需品で、それこそ声の仕事を始めた20年前から、喉を守るためにってどこまで確証があるかは分からないし、なんなら軽くパフォーマンス的な振る舞いでもあったかもしれないけれど、特に空気が乾燥する秋から冬にかけては毎日マスク着用で出かけていた。
だから箱入りマスクが自宅にストックしてあるのが当たり前で、それはある時までは世間では少し珍しいくらいだったのが、だんだんとインフル予防にと着ける人も増えてきて、そして今年、そのマスクが手に入らなくなるとか、国から支給されるなんていうことになるなんて、いったい誰が予想したかしら。

今では、箱入りのつまらない白いマスクじゃなくて、洋服とコーディネートできるカラフルなマスクや何度も洗って使える手作りマスク、好きなブランドのマスクなど、それなりに楽しんでいる人も多いと思うし、そうしないと正直やってけないっていう部分も大きいと思う。
で、私も同様に一応考えを巡らせながら毎日マスクを選んでいるわけだけれど、それはあくまで自分の意志なわけで、誰かに強要されることではないなって改めて思うわけで。

娘の園では、園舎に出入りする保護者のマスク着用は要請されているものの、子どもたちのマスク着用は必須ではなく、だから、娘の園でマスクを着けている子はゼロ。そりゃそうだと思う、小さな子どもにとって口元をいつも覆われているのは煩わしいことこの上ないはず。それに実際3歳くらいまでは窒息や呼吸障害の可能性もあることから、着用に際して注意喚起もされている。
娘の園は年齢関係なく着用の制限がないので、その方針はある意味とても寛大で柔軟性もあって、改めてこの園に通わせることが出来てよかったと思う。

でもそれはあくまで園ごとの考え方であって、特に幼稚園なんかは園児のマスク着用が約束されている園も多いようだ。
習い事のお教室となるとそれは顕著で、保育園や幼稚園、色々な園の子が集まるわけだけれど、特にお教室での決まりごとがなくても、幼稚園に通う子たちはほとんどが皆、習い事のお教室でもキチンとマスクを着用している。それがよいことだと信じているから。

そして、マスクを着けていない(持っていくのを忘れたのは私だけれど)娘に向かって、挨拶よりも何よりも、真っ先にこう言うのである。
「マスクは?」と。
あきらかに責めるような咎めるような口ぶりで。

5歳、6歳の子が、マスクを着けているかいないかで、何かを判断しようとする。
なんという世の中になってしまったんだろう???

自粛警察が問題になっているように、子どもたちの間でも、マスクがいじめを引き起こす一つの要因になりつつあることは間違いないと思うのだ。

先日ある場所である人が、「マスクを着けている顔に慣れて、マスクで口元が覆われていてもその人の表情が読み取れるようになった」と話していた。
たしかに目元で判断できることはある。目は口ほどに物を言う…??

けれどこれはきっと元々の表情を知っている人に限ってのお話。やっぱり全ては読み取れない。
初対面の人なんか特に、マスクを着けたまま挨拶をして、結局一度もマスクを外したところを見ないで別れたら、もう全くもって顔が思い出せない。目元さえもいっさいインプットできてない。たぶん、私の顔も覚えられてない。

もともと、顔と名前を覚えるのが苦手で…なんていう人の場合は最悪だ。むろん私は苦手。
すると、あとはなんだろう。何で覚えればいいんだろう。
声で覚える、とか。これは私はわりと得意。
あとは、口調や仕草で覚える、とか、とか。

なんでもいいけど、とにもかくにもマスクに翻弄される老若男女。
人間界に蔓延るマスクの呪縛は、とても危なげで、でも見方によってはとても滑稽に思えてしかたがない。