金沢の町家〜鏡花の通りを歩いてみると〜
今回は、鏡花の生家のあった新町の通りを歩き、金沢の町家を見ていきます。
鏡花に興味ある方はこちらをご覧ください。
蕉門十哲、立花北枝邸跡から
久保市乙剣宮の入口脇には、立花北枝(たちばなほくし)邸跡の看板がひっそりと立っています。
北枝は、蕉門十哲の1人です。芭蕉が金沢に訪れたときに入門し、奥の細道の旅に1ヶ月弱同行しています。
芭蕉の有名な句「あかあかと日はつれなくも秋の風」は、この下新町の北枝邸ではじめて披露されたとの説が有力です。
金沢で詠まれたということで、兼六園や犀川沿いには、その句碑があります。
ここにあれば?とも思いましたが、詠まれた情景をより感じられる風光明媚な場所のほうが適切なのかもせれません。
残念ながら、北枝邸宅は現在残っていません。
でも、看板の横に見える町家が江戸時代の町家は江戸時代の町家だと推定されている町家です。
ここから、江戸時代の芭蕉や北枝の生きていた街を想像しましょう。
江戸時代の町家
江戸時代の町家の特徴は、2階が低いこと。そもそも2階建ては禁止されていたので、2階は物置きという体裁です。
1階の軒下には、雨風が障子にあたるのを防ぐための板、「さがり」。
窓の下には、収納されずにかけられている戸、「カケド」。
そして、屋根の勾配が低いことです。
これは、江戸時代には瓦屋根でなく、石置き屋根だったからです。
市内に唯一残る石置き屋根の建築を見ると、確かに同じくらいの勾配に見えます。
軒は、桁の出ている出桁づくり。家の両脇には、袖うだつが付けられています。
金沢のうだつは延焼防止という点からより、店の分かりやすい区分としてつけられたという説があります。
先に見た石置き屋根は板張りのため、火事が起こればすぐに燃えてしまうためです。
軒下は、出桁造り。文字通り、桁がむき出しになっています。
くぐり戸の奥は、細長い空間で玄関口が2つ。
一般公開はされていませんが、内部の通り庭、土縁も当時のままということなので、いつか見てみたいものです。
明治中期の町家
次に、明治中期の町家です。2階建てで、うだつがあり、まだ2階部分の背の低くなっています。
さがりやカケドは見られません。
そして、江戸時代とは違い、2階に大きく窓の幅が取られています。
屋根の上には、明かり取りの天窓も。
横から見ると、屋根の傾斜がきつめなので、石置き屋根ではなく、瓦屋根用の造りだと分かります。
明治後期の町家
さらに、明治後期の町家もあります。
袖うだつはなくなり、少し2階部分の背が高くなっています。
そして、せがいがつけられています。
せがいとは、軒につけられる天井です。一般的には欅の板で作られます。
大正時代になってからせがいは見られることが多くなってきたということなので、先駆けだったのか、もしかすると改修でつけられた可能性もあります。
正面から見ると、2階窓の下には帯状の瓦が敷き詰められています。
高低差のある土地の土が崩れるのを留めるための、どどめ(土留め)に似ているのでどどめ側と呼ばれたりもしています。
雨の多い北陸で、壁が傷むのを防止ということからつけられたとの説が有力です。
この通りには、まだまだ町家も残っているものの、ビルも混ざっているし、建て直しで駐車場スペースを確保し、ステップバックしているところも見られます。
完璧に揃っている街並はきれいだけど、この色々な時代のいろいろな建物が混ざっている通りも、タイムトラベル気分で歩けていいものです。
昭和の和洋建築
町家でない建物も見てみましょう。医院建築です。昭和6年に建てられました。
壁には、スクラッチタイル。
昭和初期に流行したもので、近く尾張町のギャラリー三田の建物もスクラッチタイルが使われています。
こちらは、昭和5年に建てられたものです。
洋品店で、街道沿いに位置していたということもあり、ステンドグラスが使われていたり、完全に洋風です。
対して、医院の方は、屋根は瓦で、建物の高さも周りと調和しています。
壁のレリーフなども洋風ですが、軒下にも木が使われていて、和洋折衷となっています。
街並みに馴染みながら、新しいモダンさを感じられる旧新町らしい建物です。
古い町家の形式をそのままに、作られた町家もあります。
上林茶舗は、金沢ならではの加賀棒茶を中心として扱っている創業70年のお店です。
江戸や明治の建物と比べると、2階の高さはかなり高くなっています。
お店らしく、軒は2重、そして、せがい造りです。
中に入ると、「鏡花」というお茶がありました。
鏡花の生家のあった場所からほど近いところで、見つけると、少しうれしくなります。
加賀棒茶は、茶葉ではなく茎を焙じたものです。
明治後期に捨てられていた煎茶の茎の有効利用をと、煎じると色の出ない茎を焙じることで新たに作り出されました。
サステナビリティのいい見本です。
他の棒茶と鏡花との違いを聞くと、鏡花の生きていた明治時代の味に近いということで購入し、飲んでみました。
最近の洗練された加賀棒茶よりは、味が強いと感じましたが、それでも柔らかい棒茶でした。
明治の人たちは、このお茶を飲んでほっといと息、何を考えていたのかなと気になりました。
平成の町家を偲ばせるギャラリー
さらに歩いていくと、ギャラリー as baku bがあります。
平成にできた建物ですが、やはり高さやデザインが町家を思わせます。
中に入ると、不思議な壁がありました。
この壁、土壁のできる様子を右から順に表しています。
壁にもこれだけの手間がかかっているのかと、日本家屋の質を感じます。
ギャラリーを見ていると、インパクトのある作品がありました。陶芸家と彫刻家がコラボしたものです。
そして、入り口のそばには、陶器のカケラのようなオブジェがあり、格子の模様が先の作品の足に似ています。
これは、2024年1月の地震で壊れてしまった作品だといいます。
まさに先の作品の姉妹品です。
割れて入るけれど、きれいなので、今後アクセサリーなどに再利用を検討中ということでした。
地震や場所の記憶のあるアクセサリー、お守りにもなりそうで、出来上がるのが楽しみです。
大きな通りから、一本中に入るだけで、面白い町家巡りができるのも、金沢のいいところです。
参考
「金澤町家 魅力と活用法」 NPO法人金澤町家研究会編
上林茶舗
https://kanbayashi-chaho.com/
京はやしや
https://kyo-hayashiya.jp/history/
bakub
http://as-baku.com/information