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「学都」金沢のおすすめ建築 〜金沢くらしの博物館〜

兼六園からまっすぐ歩いていくと、左手にレトロな建築が見えてきます。

といっても、こんもりと雪があると分からないので、雪の少ない状態を見ましょう。

エントランスは、透彫でかわいい模様が入っています。

色は、同じ頃に作られた四高の門衛所と似ています。

四高の門衛所

でも、ペンキは何度も塗り直されていて、当時は茶系だったということなので偶然のようです。

レンガと同じく、明治の初めにはペンキも輸入されていて高級品でした。
28ポンド(12.7キロ)入の1缶が、約3円。品川の土地1坪が2円だったので、高級です。
※2021年の品川区平均坪単価は、296万円。

明治29年8月の光明合資会社(現在の日本ペイント)の商品改定価を見ると、白ペンキは1缶26銭8厘で、かなり価格は下がっています。

色によっても違いがあって、1番安いのが錆色ペンキの1缶17銭8厘。
この色だったのかもしれないなぁと思いました。

建物に戻り、足元の換気口付近は、四高と同じイギリス積みのレンガに、福井県の笏谷(しゃくだに)石がアクセントに使われていてカラフルです。

屋根を見ると、ドラゴンの鱗のような模様の尖塔もあります。

反対側にもあるもう一つの尖塔は、雪景色で。
こちらもメルヘンの世界を感じます。

以前、京都市京セラ美術館で、近代建築の展示を見ましたが、その時の街並みの模型は瓦屋根の中にポツポツと洋風建築が目立つものでした。

企画展「モダン建築の京都」より

第二中学校が出来たばかりの頃は、金沢もまだこのような状態だったではと想像しています。

石川県第二中学校とは

金沢くらしの博物館の建物は、明治32年の第二次中学校令で、石川県第二中学校として作られました。
ガーリーな雰囲気の校舎なので一瞬、女学校?と思ってしまいました。

でも、中学校令によると「男子ニ須要ナル高等普通教育ヲ為スヲ以テ目的トス」。
男子校です。

ナンバースクールの第四高等中学校が作られたのが、明治19年の第一次中学校令によってでした。

明治時代の旧制高等中学校と旧制中学校の本館が現存するのは、全国でも金沢だけです。
まさに「学都」金沢と言えます。

明治32年に出された第二次中学校令では、「尋常中学校」が「中学校」となりました。

明治24年の一部改正で、尋常中学校が各県1つだけの規定が外れて増設も可能になりましたが、石川県では尋常中学校はひとつしかありませんでした。

地図を見ると、のちの第一中学校には、「第一」がついておらず、「尋常中学校」となっています。
ひとつだけだったからです。 

第一中学校にも、「学都」金沢らしいエピソードがあります。
一中の校門辺りにあったという木は、一中が移転して泉が丘高校となった後も、都市開発にも負けず、道路にはみ出すようにして生き残っています。

そうして、石川県に中学校が一つしかない状況で増やされたのが第ニ中学校です。  

明治初期には、西欧化が国家の最優先課題でした。教育の内容はもちろん、学校建築も西洋式生活の浸透を図るため、絶対に洋風でなければならず、地方でも校舎のデザインが競われました。

でも、明治半ばの教育改革の頃には、校舎の姿に関しては「虚飾ヲ去リ」と厳しい制約が出され、簡素化が進んでいきました。
戦争の影響かもしれません。

そのような中で作られた建物としては、飾窓や尖塔のあってとても華やかです。

第二中学校は、その後、紫錦台中学校となり、昭和45年までこの建物が使われます。
そして、すぐ隣に今でも紫錦台中学校はあります。

紫錦台中学校(左に少し見える建物は金沢くらしの博物館)

金沢くらしの博物館へ入る門は、「金沢市立紫錦台中学校」の門です。

学校建築の中へ

エントランスをくぐると、天井にフックがかかっています。
明治時代、まだ電気が普及していないので、ランプを吊っていた名残です。

天井やアーチも、シンプルながらかわいらしいデザインです。

窓は、明治時代に主流だった上下開閉式です。

階段も裏側まで、天井と同じ色に塗られています。

柱も、ギリシアのドーリア式を思わせるフルーティングという縦のラインが入っています。

パルテノン神殿のドーリア式の柱イメージ

手すり側面の透彫は、エントランスのものと呼応するようなデザインです。

こちらの建物は、国重要文化財に指定されていることもあり、館内を歩いていると建物に関する解説も見られました。

例えば、わたしは気がつかなかったけれど、2階の廊下の左右の窓を撮ったこの写真、間違い探しのようですがどこが違うかわかりますか?

案内板によると、左手の窓の下には屋根があり、そこだけ小さく作られたということでした。

しかも、解説の紙のデザインもエントランスの透彫とお揃いです。 
むむっと感心しながら、先へ進みます。

1階には、昔のくらしの分かる電化製品や当時の写真など展示されていましたが、2階には、地元の工芸品の紹介や体験スペースがあります。
木工芸や加賀象嵌(ぞうがん: 別の種類の金属を嵌め込む技)の工程も。

子どもたちが加賀獅子や加賀鳶の雰囲気が味わえる衣装もあり、金沢らしさ満載です。

反対側の階段を降りていくと、当時の教室が復元されていました。

廊下には、要石の装飾のある小窓が2つ。
もと事務室の受付だったところです。

帰りにエントランスを出ようとすると、すごい雪景色でした。

春の兆し

でも、数日前に通りがかったときには、入口のそばの梅の木にチラホラと花が開き始めていて春の兆しです。

奇しくもこの博物館の住所は、「飛梅町」です。

建物前の道路沿いには、江戸時代からの辰巳用水が流れています。

この用水に沿ってまっすぐ歩いていくと、兼六園につきあたります。
そうです、この用水の水は兼六園の曲水の源です。

そろそろ兼六園の梅園の梅も、少しずつ咲き始める季節です。

兼六園の梅林 2021年撮影

早く春が来て、他の建築やお庭もさわやかに歩けるようになるのが楽しみです。

参考
「金沢市史 資料編17」
「日本ペイント百年史」
旧石川県第二中学校令本館の建築パンフレット
(金沢市文化スポーツ局文化財保護課編集)

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