習い事、レッスンや学びに一番必要なことはゴール設定かもしれない。

夏休みの特別企画で、音楽史入門の入門(笑と インベンション分析超入門を小学校高学年の生徒をオンラインで開催中。

今週からインベンション分析「超」入門に入った。

私自身、小学生の時にインベンションに入った時に先生に説明されたが
ちんぷんかんぷんだった。理解力がなさすぎたのと、算数も、図形も、図工もどれも苦手。
音楽の世界にそんな要素が入るだなんてカケラも思わずに幼少時代に過ごして生きて来たから、当時理解しなくちゃいけないとすら思えなかったのも当然かな。

と言うわけで、珍紛漢紛だった過去の私へのメッセージを込めて毎日の生徒さんとのレッスンは相当丁寧に、理解してもらえるように授業を進めている。これで理解してもらえる。取りこぼしはないはずだ!!

でも、今日ふと思ったのです。
あまりに細かくやりすぎてこれで良いものか?? こんなに細かくやる必要ある??たった1、2小節に毎日30分かけて。
まぁ、そこには楽典の復習も入るのでそうなるのですが。

インベンション1番のアナリーゼをとことんやる。そこに楽典知識も確認しながらなので、膨大な学習が発生するわけです。要素山盛りです。メガ盛り、何かのフェスですか?朝から何故か音楽の授業でドドドと学習がなだれ込んでくるのです。

もちろん、長い目で見ればこれは物凄い力になる。 音楽がどの様に構成されているのか、それこそ森をみて、木もみて、、、枝葉末節、細胞までも。 そんな分析能力を身につけた彼女たちが成長した先。
その分析能力が「一つの強み」になる可能性大きいわけです。音楽以外にも
生かされるわけです。グラフを読み解くとか、ちょっとした違いに気づくとかパターンに瞬時に気づくとか。これ、やらないと勿体無いですよね。

とはいえ、フッと気づいてしまったのです。
これって私は楽しいけれども、彼女たちはどうなんだろう?
こんなこと、勉強して何になるの?何の役に立つの?って思っちゃわないだろうか?毎朝、毎朝8時半から30分拘束されて、なんか先生はひたすら熱く語ってるよ。。みたいに思ってない??

もしかしたらそう思っているかもしれないよ???と私は思ったのです。

もし、本当にそう思っていたとしたら、これ、悲劇ですよ。
ピアノなんて小学生のうちに辞めるものになりますよ。
先生無駄に熱心で面倒くさい。(彼女たちはとても真面目なのでそう思わないかもしれませんが、私の娘なら思います。きっと)

そして、やっと私のよくなかったところに気づけたのです。

 思えば、ゴールをちゃんと示してあげてなかった。


アナリーゼという作業をすることによって、「こんな楽しみがある」
「こんな力が付きます」(女の子は現実的だからね!)

それを伝えそびれていた。ゴールを意識させていなかった。


大人はいくつもの届かなかったゴールと共に生きてきたからわかるし未練もある。だから、子供には見えないゴールを勝手に押し付けて しまうのかもしれない。私は自分ではゴールを見出していたけれども、彼女たちにそれを伝えることを「怠って」いたのだ。



明日は、いくつかあるゴールのうちの1つを彼女たちに伝えてみようと思う。 ピアノ、音楽を「学ぶ」ことの先にあるものを見出せるかもしれない何か。 これは本当は毎回言わない。特に趣味で音楽を続けていく彼女たちには
その目的、ゴールをはっきり示してあげないと、時間の無駄に思われてしまう可能性が高い。
私はね、授業中に
バッハのインベンションの学びがあまりに強烈でね、凄すぎて、ついそっちに熱中しちゃって生徒を置き去りにしていたかもしれない。

楽しいけれども、難しい。難しいけれども楽しいね。音楽の凄さを伝えるっていうのは。


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