古着と戯れる会
2年前は、まだ「おはぎちゃん」のことを
私は、その三分の一も知らなくて
でも「のんち」のパートナーとしての様子や
みんなとの時間を見せてもらいながら
「見る力」と「ゆるぎないもの」を持った人なんだろうなと感じていた。
「古着」が好きなところもまた、興味があっていつか話を聞いてみたいと思っていて、うちで、古着を扱うことについて相談すると、その時、所有していたアイテムを持って来てくれて、3人で古着と戯れたことが、「古着と戯れる会」の起源。
それ以来、2、3ケ月に1度のペースで
常設分も含め、更に大量のそれらを、サンタのように運んできてくれて、会を重ねている。
古着を、あててみたり、羽織ってみたり、試着してみたり。
自分が選んできた子どものようなアイテムたちが、見る人によって、どう映るのか?
その様子を見るのも楽しいという「おはぎちゃん」。
一つ一つの個性を把握しているプロデューサーのよう。
古着から広がる対話も楽しんでいて、手に取る人が、意外な一面を見せる瞬間も、刺激になるようだ。
相方、のんちも、その時々で
思いついた面白いことを引っ提げて、やってきてくれて、10回目の今回は、「お戯れ音頭」を前日に自作し、録音して準備していた。
思わず、何かを連想してしまう、キャニスターの蓋をスイッチに見立て、躊躇しながらも、その先端を押すと、10秒の時差で「お戯れ音頭」が流れ出す、というシステム。
会に来てくれた人、スイッチに気付いてくれた人だけが楽しめる、ご褒美。
作った本人が、一番、照れてしまうという、自らの罰ゲームのような時間と、ありのままの「のんち」を囲むその空間は、温泉に浸かっているような温かさ。
頑丈な鎧も剥がされて、あとにするみんなの顔は、マスクがあっても、表情筋が緩んでいるのが分かる。
今や「古着と戯れる会」は、いつか話した「二人の間」を体感してもらうような時間に、なっているような気がした。
行ってみたいな、と感じた人。
二人に会いたい人。
その温度を感じたい人。
私たちは、これからも、出来るだけ長く、長縄を回しながら、それぞれのタイミングを待っていたいと思う。
そして、いつだって、「やってみたい」を気軽にやってしまえる、そんな会と、製作室で、あり続けたい。