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⑮YUKARI ジャズ・フルーティスト No.13 癒しの音楽
・音楽の可能性
Yukariさんは、現在、限られた時間の中でだが、
紹介者を通じてサウンド・ヒーリングを行っている。
1990年代以の「癒やしブーム」以降
「ヒーリング」「癒やし」という言葉は
心身の不調の改善からリラックス効果まで
多様な用い方をされているが、
Yukariさんが試みているのは自分の音楽によって、
対面セッション相手に、癒しを感じる時間を過ごしてもらい、
満たされたポジティヴな感覚により、自分を見つめ直し、
状況を自分自身で改善できるよう
サポートをすること。
セッションでは、妊娠中の女性、
重篤な病状と向き合っている人、
過度のストレスからなんらかの身体症状が出ている人、
もしくは未来に不安や迷いがある人等と対面して、
フルートを奏でる。
きっかけは、ある人からアドバイスを受けたことだった。
「まだ病状がフルートを持つことさえつらい時期でしたが、
『貴方は音楽が奏でられるなら最高じゃない。自分で自分を癒せるのだから』
と言われたのです。
それまで音楽を『癒し』のためのものと考えたことがなかったので、
初めは、そんなものだろうか、と思いながら試してみましたが、
自らの奏でる音に徐々に気持ちが軽くなっていくのを感じました」
NY時代に、コンサート中に会場と一体となった時に起きる無我の境地、
言葉にならない世界と繋がる体得した感覚、
幸福に満ちた高揚感から得た経験が、
今、セッション中の音を生み出すことに繋がっている。
奏でる旋律は、対面している相手との意識交換の中の即興だが、
ラテンのリズムであったり、アジア的であったり、
相手の特性や過去の経験に因んだ旋律が出てくることがよくある。
近代の画家たちがミニマルな線を生み出すために
気が遠くなるほどの線を描いてきたことを鑑みれば、
Yukariさんの生み出す旋律が、
あらゆるジャンルの音楽の引き出しを増やし、
研鑽してきた技術と経験がベースとなっているのは想像に難くない。
「『癒し』と一口に言っても、
まず自分が満ち足りていないと人を癒すことはできないと思うのです。
自分自身が本来の人生を歩んでいないと至れない境地のように思います。
NYでの私は、1日に10時間演奏し、
自分のすべてを注いで、音楽家として身を立てるべく邁進していました。
ただ、自分しか見えていなかったのです。
競争に打ち勝つことだけに自己実現を見いだせない私は、
心は満ち足りてはいませんでした。
やるしかないと自分を追い込んで
プロとして高みを目指すことに集中していました。
それはそれで必要な時間でしたし、
だからこそ今があるのですが・・・」
脳科学という言葉が世の中に流布するようになって久しい。
脳がアルファ波を発生させる心地よい状態になったり、
幸福のホルモンと言われるセロトニンやオキシトシンの分泌を促す刺激を受けると、
人体にもポジティヴに反応することが科学でも証明されている。
Yukariさんの今の課題は、
聴く人が「本来の自分と対話する」ためのサポートとなる音楽を
どのように創り出していくのか、
そしてそれをどういう形で発信していくのか、ということ。
CDという形態であれば、瞬時に消えていく旋律を記録し、
より多くの人に届けることができる。
コンサートであれば、観客の反応から起きる会場の空気や一体感、
化学反応とも言える予測できない癒しの旋律が
生まれていくという面白さがある。
生演奏には、録音されたものにはない無限の力がある。
脳科学でも、音に包まれるということは、
音で触られるということだとわかってきている。
耳だけでは可聴域の音しか聴くことができないが、
音は「皮膚感覚」でも聴いている。
つまり音を聴覚だけでなく、「触覚」でも感じていて、
この触覚がコンサートで、一体感を味わう感覚を生み出しているのだ。
対面でのサウンド・ヒーリング・セッションでは
音に抱擁される感覚とでもいうのだろうか、
可聴域を超えた音も含めて、セッション相手は受け取っている。
両者のより近い意識交換の中で、
未知の世界を探していく奥深さがある。
(次回に続く)