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⑧YUKARI ジャズ・フルーティスト No.6 命懸けの音

・ジャズクラブでの日々

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スモールズ、ビレッジバンガード、ジンク・バー、
名だたるジャズクラブの密集するビレッジは、 アパートから徒歩10分ほどの距離で、
毎日のように通っていた。

日が暮れて暗くなり始める頃にシャワーを浴びて出かける支度をする。
20ドル札を忍ばせたフルートケースを肩にかけ、ジャズクラブに向かう。

熱狂的な演奏が続き、深夜1時を過ぎ、最後のセットが終わると、
バンドのメンバーがカウンターに集まり、
その日の演奏をああでもない、こうでもないと話し始める。

そのうち他のクラブで演奏を終えた面々がどこからか合流してきて、
ふと気が付くと、Yukariさんの昔からのヒーロー達や、
有名なミュージシャンが隣に座って飲んでいたりする。

演奏を終えてまだおさまらない興奮とお酒の力によって出てくる、彼らの裏話がまた面白かった。 食い入るように聴いていたライブそのものだけでなく、
その後のプロと直接交流できる時間が楽しくて仕方なかった。

時には興に乗って彼らが繰り広げるセッションにも飛び入り参加させてもらう。

ライブ空間の作り方、パフォーマンスの在り方、プロとしてのあらゆることを現場で学ばせてもらった。

「今はそういう雰囲気はなくなってしまっているようですが、
私がNYに移った当時は、まだなにが起こるかわからない危険な雰囲気が残っていました」
    

実際に、事件も近くで起きていたし、いわゆるドラッグをやっている人が多く、
ライブハウスでも喧嘩になってしまうとか、夜外出するとドラッグ・ディーラーの人が銃を持って立っているなんてことは、珍しいことではなかった。

危険な場所もあった。

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「そういうNYという土地の空気感が音にも投影されていたと思います。

写真などでも人の顔に人間性が透けて見えるように、

私が音楽家だからそう思うのかもしれませんが、

音ほど人間性が出てくるものはないんです。

音に生き方とか考えていることが出てしまうのです」  

NYのミュージシャン達の「刹那で生きている」とでもいうのだろうか、

「この瞬間いい音が出せれば、そのあと刺されてしまってもいい」
「なにが起きるかわからない。この瞬間ベストを尽くそう」

という姿を目の当たりにすることができた。


「そういう『命懸けの音』というのはすごく力があるんです。

ぐっと胸を掴まれた気がしました」   

当時ミュージシャンはほぼその日暮らしという言葉がぴったりだった。

中には演奏活動以外にも楽器を教えたり、ほかに収入の手立てを持っていたミュージシャンもいたが、大抵は、今日食べるものがあって、いい演奏ができればいい、みたいな人達だった。

(次回に続く)

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