Vol.15【ファミコンコンプリートという名の執着心】
コレクターと呼ばれる人種は、際限がない。
一つのテーマにじっくり絞って深堀するタイプもいれば、
広く浅く様々な事象に興味を持ち買い漁る(別名・物欲センサー)
私はどちらかというと後者なのだが、流石にある日突然興味を持って怒涛の爆買いみたいなパターンは少ない。
コロナ前まではビックリマンシールやあっぱれ大将軍シールを買い漁っていたが、ここ2年ほどはファミコン熱が一気に高まり全種類コンプリートしたくなり、今はそれに専念している。
共通しているのは、【小さい頃に為し得られなかったもの】に対する執着心だ。
ビックリマンシールにしても小学生時代の徒花に過ぎず、ファミコンも学生時代の遺物でしかない。
だが、そこには【あの時欲しかったものが手に入るかも知れない】という、子供の頃に遺した無念を大人になって晴らしているような気がしないでもない。
ちなみに現時点でファミコンソフト未所持リストがこちら(データック除く)
データックや非公式及び非売品関連を考慮しなければ、残りは20タイトルにまでなった。
このうち箱説付の状態で所持しているのは8割弱で、とりあえずソフトのみで済ませているハイブリッド状態で一旦ゴールを目指しているが、
落ち着いたらソフトのみのタイトルも箱説付きで入手したいとは思っている。
しかし同世代で同じようなことを考えている方も非常に多く、ファミコン芸人フジタ氏のファミコンコンプリ企画が代表的な存在だ。ライバルは非常に多く、海外勢に向けた円安対策も相まって価格の高騰が著しい。
私の未所持一覧でも4万~5万、最悪10万付近するようなタイトルが残っている。
数年前に今より格安でコンプした人が羨ましくて仕方がない。
正直ゲームをプレイするだけなら、リメイク版やバーチャルコンソール等でどうにでもなるタイトルもある。
だが、ファミコンには当時の洗練されたようなされてないような、愛おしいデザインやカラーも魅力の一つである。
バンダイのごつごつした造りもあれば、ナムコやコナミのような角ばったデザイン、色もバリエーション豊富だ。スーパーファミコンになくてファミコンにある決定的な魅力の違いはそこにあると思っている。
ゲームとしての完成度でいえば勿論現代に勝てるわけがない。だが、その不便さが我々を鍛えてくれたとも思えるのだ。
パスワードを必死にメモって失敗した時の辛さは【仕事の正確性】を教えてくれたし、理不尽な難易度や意地悪な隠し要素は【困難に立ち向かう積極性】を与えてくれた。ファミコンは昭和の子供達に対して教育を施してくれた側面もあるのだ。
何処でもセーブに慣れ切った現代日本の若者は、忍耐力を養う機会の一つを失っているような気がしてならない。社会生活の理不尽に耐えられる精神力が育たない。利便性は成長を促さないともいえる(大言壮語)
話が脱線したが、ここまで来てコンプリートが壁にぶち当たってきたのも事実。現代の若者を嘆く前に、何か一つくらい成し遂げたい。それが自分の中で今はこのファミコンコンプリートなのだ。ハイブリッドで揃えた後は箱説付きで買い直すという終わりの見えない旅だが、寿命が尽きる前には成し遂げられると良いな位の気持ちで頑張ろうと思う。