小声コラム#21 言葉があれば新規保存できる
ときどき怖くなるのは、
知らない間に何も感じなくなっているんじゃないかってこと。
昔感動した映画や小説やアニメや漫画、その他たくさんの心を動かしたモノ
今触れてみても以前のように深く感じなくなったりする。
もちろん自分にとって初めて見る新鮮さも関係していると思うけど、
あれ?こんな感じだったけ?みたいに拍子抜けすることがある。
新しいものにたくさん触れて、自分がどんどん変わっているのではないかと言えば、確かにそうではあるとは思う。
でも、感覚が鈍ったような気もして、なんだか不安にもなるのだ。
たとえば、同じ作品を見ても、
自分の弱さを嘆く主人公に、自分を重ねて嗚咽していただけの過去
強く進もうと変化する主人公の心のあり方に、自分の心と照らし合わせてみる現在
視点も感じ方も全然違っている。
現在の視点は都合のよいポジティブを切り取っているような気もする。
過去の苦しい方に目を向けられていた自分の方がずっと繊細にものを見ていたような気がして、自分の変化に落ち着かない。(自分で繊細っていうの恥ずかしい)
自分の変化に戸惑うのは、誰にでもあることなのだろうか?
26歳という、若いと言い切るには微妙なラインに立つとそう感じるものなのだろうか。年齢は関係ないか。
といっても、今ある自分が感じること(過去感じたことを思う今も含めて)が全てであることは、絶対的な事実であるはずだ。
だから何が言いたいのかというと、過去に感じたことはずっとそのまま保存して、現在に感じることもそのまま保存して、上書きする必要はないってことだな。(自己解決ごめんなさい。)
以前コラムで春を上書き保存してやるって書いたけど、上書きしなくても新規保存で残しておけばいい。脳の容量には限界があるけど、幸い僕たちには言葉がある。
言葉を駆使すれば苦悩も快楽もどっちも味わえる。
偉大な発明に本当に感謝しなければ。
今回も上手く書けなかったけど、書いてよかった。
じゃあ、ここらで。
#21 言葉があれば新規保存できる