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15/100 池澤夏樹「夏の朝の成層圏」/記憶はすぐに色褪せるということ

先週の火曜日から水曜日にかけて軽井沢に行った。旅行と言い難いのは、それがタイムシェア別荘の体験宿泊会だったからだ。

環境も設備も最高で夢のような時間を過ごした。これまでも豪華なホテルに奮発して泊まったことはあったのだけど、空間の贅沢さはそれらと比較しても群を抜いていて、普段辛口な彼も手放しで気に入るほどだった。定期的にこの場所で過ごすのは名案のように思えた。冷やかしのはずが、具体的に購入を検討しようかというところまで盛り上がった。

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ところが翌朝、他の別荘を見に行ったあたりから、盛り上がっていた気持ちは少しづつ醒めていった。今はいい、ただ何度もそこを行き来しているうちに、飽きてしまうんだろう、そして別荘があることによって場所に縛られることを、少しづつ窮屈に思うんだろうという予感がした。

東京に戻り、家のドアをあけると、そこにはいつもの見慣れた光景。窓からは背の高いマンションや商業施設が見え、自然を感じさせるような、心を解きほぐすような、そんなものはほとんど見当たらない。部屋も随分と狭く感じられ、たった数時間前までいたあの場所が恋しくなった。ただその感覚はすぐに薄れていき、次の日の晩には、次はどこに行ってみようかと頭が切り替わった。

あの日虜になった大きな窓一面に広がる緑、何重奏にもなる虫の音、漆黒の夜更けにぽっかりと浮んだ月。こうやって書き起こして見るとたった数日前のことなのに、随分とその記憶が色あせた事に気づかされる。

しかし、彼がこの島にいた事実は、砂浜の砂の上の風紋やたまたま空に浮んだ奇妙な雲の形とおなじで、すぐに消えるはずのものだ。自然は次の絵のために前の絵をすぐに消してしまうし、精霊たちも名も知らぬ彼のことを速やかに忘れるだろう。一番大事なのは彼の中に残る記憶だけれども、それとて彼が島を出た途端に薄れはじめ、実体感を失って抽象的なノスタルジアに堕するはずだ。
池澤夏樹「夏の朝の成層圏」

「夏の朝の成層圏」の一節とシンクロする、そんな心持ち。



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