21/100 チャールズ・ドーキンス「利己的な遺伝子」/仕事で疲弊し、そして仕事で癒される
7月後半、1泊2日の温泉旅行のために無理をしたのもあり、今の会社に入っていちばんの大仕事をしているのもあり、何だかずいぶんと疲弊した。
先日の日曜の夜は、入社して初めて月曜日が憂鬱だった。寝ると明日になっちゃうなあと思いながら目を閉じ、そんなことをしているうちに朝が来て、ああ来ちゃったなあ、朝だなあと残念な感じ。
保育園に行く子を見送った後、何ともいえないテンションでPCを開いた。まずは勤怠の締めや経費精算なんていう頭を動かさない作業をして、週末のメールやSlackを追って。
ただしばらくすると乗ってきた。タスクを片付けていくたびにエネルギーがチャージされる感じ。終業時間がきたら今度は仕事の手を止めるのが何だか残念で、そう、日曜の夜から感じていたはず憂鬱な気分は、いつの間にかずいぶんと吹き飛んでいた。
この感覚は中学の頃、夏休み中駅伝の練習に明け暮れていた時と似ていた。練習に行くまでは憂鬱なのに、終わる頃には、すっかり吹き飛んで、練習後にはああやっぱり来てよかったなと思う。夕日に照らされ、差し入れのキンキンに冷たいポカリを飲みながら。
つらいことからは逃げてしまえばいい、という言葉をよく見かけるようになって、それでも私が留まることを選ぶのは、疲弊して、だけどそのうち癒される循環を知っているから。
一向に癒されない時にだけ、見切りをつけてしまえばいい、だからたとえ気が乗らなくても練習に行き、まずは会社のPCを開いてみる。
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先日読み終わったチャールズ・ドーキンスの「利己的な遺伝子」について。40周年記念版ということで新しい序文が追加されていたのだけど、その内容が興味深かった。
私の初めての著書を出版してくれた外国のある編集者は、あの本を読んだあと、そこから読み取れる冷酷で血も涙もないメッセージに悩まされて、三日眠れなかったと告白した。他の人々は、どうしたら毎朝、平気で目覚めることができるのかと尋ねてきた。遠い国のある教師は私に非難がましい手紙を寄越し、この本を読んだ一人の女生徒が、人生は空しく目的のないものだと思い込み、彼のところに来て泣いたと言ってきた。この教師は、他の生徒が同じような虚無的な悲観論に染まることを怖れて、彼女に友達にはこの本を見せてはいけないと忠告したそうだ。
チャールズ・ドーキンス「利己的な遺伝子」
私がこの本を最初に読んだ時に感じたのは全く逆のことだ。私自身がただの「遺伝子の乗り物」であるなら、人生はなんて自由、そう思った。
物事には色々な受け止め方がある。同じ物事なのに、人によって、更には自分自身ですら朝と夜で受け止め方が違う。少なくとも私にとって「利己的な遺伝子」は人生を楽しむためのパスポート。この気持ちとずっとシンクロしていたい、そんな心持ち。