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17/100 夏目漱石「夢十夜」/甘美なる死

月曜は振替休日だった。何をしようか考えて、思いついたのが「ミッドサマー」という映画をみること。2020年に入ってから、私のまわりでは「パラサイト」と「ミッドサマー」の話題が持ちきり。話題についていくべく何とか「パラサイト」は劇場で鑑賞したものの、「ミッドサマー」はコロナの営業自粛もあって叶わなかった。だからネット配信されると知ってから、いつか観るのを楽しみにしていた。

ところが観始めると、思っていた内容と随分違う。冒頭から禍々しさにギョッとし、慌ててあらすじを調べると、登場人物が次々と凄惨な死に方をすることを知った。
残虐なシーンはとても苦手だ。映画に集中しすぎないようスマホをいじったりゲームをしたり、お昼ご飯を食べたりしつつ観るというスタイルをとった。観終わった時は、なんだかとてもホッとした。

ところがそれ以来、ふと気がつくと、「ミッドサマー」のことを考えている。「ミッドサマー」を観終わった後は久しぶりにボディエステに、ところがその気持ちよさはすぐに薄れ、一方数日たった今を振り返っても、頭に浮かぶは「ミッドサマー」。ここまで強烈な感情を抱いた映画は随分と久しぶりで、自分でも驚いている。

残虐、というほどではないのだけど、夏目漱石の作品に「夢十夜」がある。10個の夢を綴った作品で、多くの話に共通するのが死が匂うことだ。

第一夜では、男は話していた女が死ぬ。第二夜では侍が和尚を殺そうとしている。第三夜は100年前の人殺しの復讐劇で、第四夜は爺さんが、第五夜では男が会いたいと願った女が死ぬと言った具合。夏目漱石の作品はひととおり読んだのに、その上でどういう訳かこの作品が一番印象に残っている。

一つ思うのは「死」は誰ひとりそこから逃れられない。だから他人の死に様に好奇心をくすぐられ、自分の死に思いを馳せる。

「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓の傍そばに坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
 自分はただ待っていると答えた。すると、黒い眸ひとみのなかに鮮あざやかに見えた自分の姿が、ぼうっと崩くずれて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長い睫まつげの間から涙が頬へ垂れた。――もう死んでいた。
夏目漱石著「夢十夜」

この作品と、そして「ミッドサマー」がシンクロするのは、どちらも死は甘美でもあると伝えてくるからだろう。

そんな心持ち。


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