18/100 イザベル・アジェンデ著「エヴァ・ルーナのお話」/しかも運のいいことに
8月にコルクラボの合宿が屋久島で行われる。聞いてすぐに行きたい!と思ったものの、あいにく彼は大学の卒業旅行が屋久島だった&腰があまりよくなく長時間歩くのは厳しいということで断られた。更には旅行の日程が関わっているサービスの繁忙期、緊急対応が必要になることも考えられる。旅の出だしを想像しただけでも、2歳の子を1人で連れて、お盆の混み合った空港で、大荷物を持ったままチェックイン。無理かな、と一度は諦めた。
それなのに現地の写真をみればみるほど旅情がかき立てられ、まだ見ぬ地、屋久島で夕陽をみるのは最高のデトックスでは?といてもたってもいられなくなり、半ば衝動的にチケットと、前泊の宿をとった。
ワンオペで2歳の子を連れて、更には仕事を現地でしないと行けないかも?な状況下でよくもまあ。それは少し、自分でも感じているのだけど、しない後悔よりする後悔。私はそんな感じで日々を生きる。
困難にぶちあたってもそれを何とかしようとする気概があると人生の選択肢はぐっと広がる。私の人生のお手本のひとりがイザベルアジェンデの小説に出てくる「暁のベリーサ」だ。
十二歳になるまで彼女は何世紀にもわたって続いてきた飢えと疲労感にひたすら耐え続けた。果てしなく続く旱魃の間に四人の弟達を埋葬する羽目になり、次は自分の番だと悟った彼女は平原を海に向かってどんどん歩く事にした。
(中略)
多くのものが途中で倒れていったが、彼女はひたすら歩き続けて、ついに地獄のような土地を越え、目に見えないぐらい細い湧き水が流れているところにたどり着いた。一握りの草をやっとうるおしているこの湧き水は、やがて、ひとつの流れになり、低湿地を作っていた。
暁のベリーサは危ういところで死神をかわし、しかも運のいい事に文字を覚えることができた。
(中略)
その日暁のベリーサは、言葉には特定の所有者がおらず、少しばかりの知恵と才覚があれば、誰でも言葉を使って商売ができる事を知った。
イザベル・アジェンデ著「エヴァ・ルーナのお話」
この話が好きなのは、どんな不遇な身の上でも、逆境の中にあっても、そこには必ずチャンスがある、と信じさせてくれる事にある。過酷な環境に生まれた事を呪わずに、手に入れたものを「運のいいことに」と捉えて生きる。
生存者バイアス、と言われたりもするけど、私はこの考え方が好きだ。どんな困難にぶち当たってもそこから這い上がって行きたい。暁のベリーサとシンクロしていたい、そんな心持ち。