命を感じる日々、そして今日も音楽に浸かる
ご無沙汰しておりました、ドイツの竪琴ライアーとともに歌っておりますMakicomです。
実は先週、友人を亡くしました。乳がんでした。
年齢も近く、子供も四人いる彼女になんとか生きていて欲しかった。
昨年から時間の許す限りサポートに伺っていて、みんな本当に頑張ったのだけれど8/28にこの世を去りました。
もう少し気持ちが落ち着いたら、彼女とのことをちゃんと書こうと思ってます。すごいことがたくさんあったのです。
いろんな形の愛があるなぁと思いました。
余命二週間から三ヶ月と昨年11月に伝えられそこから8月の末。
どれほどの精神力であったのか想像できないと思います。
家族と同じ、いやそれ以上に友人たちがサポートにあたり、たくさんの愛に囲まれて大好きなおうちで息を引き取ったわけなんですけれども。。
今は葬儀も終わり、少しずつ言葉にできるようになってきました。
言葉にするより三日早く、曲は作れるという謎。
新曲も上がり。
日常を取り戻すのに、制作に当たるということは非常に救いになりました。
これから実感がジリジリと湧いてくるんだろうなぁ。。
彼女の話、近いうちにnoteに書き残しておこうと思います。Love.
さあ、そして今日は9月6日 北海道胆振東部地震から2年
このこともちゃんと記録しておかなくてはと思う。
恐怖と温もりと無力さ、そして全てが「在る」ということを感じた数か月でした。
あの日見た停電の空に現れた天の川、地震直後でもコンビニで、丁寧に一生懸命対応していた人たちの姿、忘れない。
長蛇の列になっているスーパーやコンビニ。
この人たちにも家族がいるだろうに。。
医療従事者の方ももちろん。
胸が熱くなりました。
厚真に住む知人から、救援物資はもう足りてきてる、音楽がそろそろあったらいいなぁ。。という声をいただき
一週間後に向かった厚真、安平では胸のドクンドクンが止まらなかった。
子供達が無邪気に遊ぶ笑い声が響く。
室内に走り回ったり、遊んだりできるスペースや
外にも野外遊び場ができていました。
この大変な中、子供の心のケアを考えて楽しめることをと即行動した人たちはすごい。その場を短期間で作ってあげた大人たちはすごい。
電気も戻らない、水も出ない中、自分自身も被災しているけれどボランティアに回り奮闘する人たち。
でも遊び場ではみんな笑っていた。
あちこちに爪痕が長いこと残されていて、大人も子供も気分が少し紛れても
でもすぐに現実に引き戻されていたと思う。
何度か私が伺っていた地域では最長の断水だったらしく、水が戻ったのは一ヶ月後のことだった。
避難所の演奏では手を叩いて一緒に歌うおばあちゃん、自分たちが頑張らないと。と先陣切って頑張っていた若い世代が歌を聴いて泣いていた。。実はきつかった。。と
自分のお家もぐちゃぐちゃだけど、周りの人を助けられるのは自分たちしかいなかったと。
そして震源地の方に目が向かいやすいのだけれど、札幌でも震度6を記録するほどだったので道路が壊滅的なところもあった。
そしてもう落ち着いてきたかな。。と思った頃でも避難所では温かい食事もまだまともに取れないような状況があったりと
道路一本挟んだり、区を一つまたぐだけで違う世界が広がっていた。
もう日常にとっくに戻ってる人、家に帰られず、温かい食事も取れない人。
支援を行き届かせることって簡単じゃない。
これからも様々な災害があるたびに、誰かが悲しむことがないように
未曾有の災害が自分の身にも降りかかるかもしれないということを忘れず
早めの対処をして、助け合って行けたらいいなぁと思います。
今回の台風もどうかみなさまご無事でありますように。。
みなさんの心が穏やかでありますようにと祈ります。
3月に延期になった厚真プラネタリウムライブ。
小中学校に配るはずだったチラシの数百枚と初めて作ったポスターが行き場なくうちで眠ったままです。笑
破棄するしかないんですが。。どうにもできないもどかしさ笑
早くできるといいなぁ。。