バズとはどりょくである。
バズるという言葉を耳にしたことがあるでしょうか?
『バズる』とはインターネット上で口コミなどを通じて話題となること。由来は英語の動詞 buzz(ハチがブンブン飛びまわる音・ひとつの場所に集まってウワサ話でざわざわする) を日本語とくみあわせた造語です。
先日、こんな記事をみつけました。
一世を風靡した「ピコ太郎」さんが、どうやってバズらせたのか書かれているのですが、この記事を読むと『バズとは努力である』ということがよくわかります。
・お笑い芸人、アイドル、歌手、俳優…いろいろな人に、自分の動画を広めるようにお願いした。(多面的)
・同じ日にいっきに広めてもらった。(一極集中・スピーディー)
・発信した時期がよかった(文化祭シーズンで高校生が面白そうなことを探している)
上記の仕掛けをおこない、ジャスティン・ビーバーが興味をもってくれてピコ太郎さんは一躍有名になったのです。
さて、このnoteを読んでくださっているあなたは何かバズった経験がありますか?
わたしはありません。
ピコ太郎さんの記事をよんだら、そりゃ当然だと思えました。バズは突然おとずれるものではない。自分のつかえる武器…知識、人脈、容姿、能力…すべてをつかっておこす現象だったのです。
無名でフォロワー数の少ない人でもバズっているのはなぜ?と思うでしょう。その場合は発信内容の「共感」させるチカラがずば抜けて高いのです。
たとえばインフルエンサーのゆうこすさんは人に共感してもらうために細かい事前準備をしています。
・有益かどうか・ターゲットは明確か・人間味はあるか・ストーリー性があるか…などなど
そしてSNSで共感を得るためには、とにかく応援されることと述べいています。
内容のチカラ(共感力)が弱い場合は、先ほどの多面的・一極集中・スピーディー・時期(トレンド)を計画的に根回しするしかないのです。すべてが準備できないときは、どれか一つでも他人の発信内容より秀でていなければいけません。(ものすごい人数に拡散をおねがいする・流行を先読みするなど)
さあ、これでバズがねらえる!
そう思えますか?
わたしは逆に、「バズることはとても難しいことなんだ」「だからバズれなくても恥ずかしいことや悔しいことじゃない」「バズを狙ってハズレて一喜一憂するよりも、純粋にたのしんだ方がいい!」(バズるのは宝くじに当たるようなもの)と思えるようになりました。
バズとは努力である。
それも生半可ではない、並々ならぬ努力の結晶である。
バズった情報をみて、うらやましいと思ってしまうあなた。
今度バズった情報をみたら思い出して。
「きっとこの人は、見えないところで努力したんだなあ。」
「この情報はすごい共感力があるなあ。さすがだなあ。」って。
そして純粋にバズをたのしみましょう!
牧 真姫子🍙エッセイスト(@makicome1986)