すべてをあたえることが、ひとのタメになるとはかぎらない。
『人間は考える葦である』
パスカルはよくいったものだ。
おそらくだが、このnoteを読もうと思ってくれたあなたは『考える』ことが嫌いではないはず。
他人が書いた文章を読み、自分の体験と比較したり、自分の生きるヒントに落としこんだりしたくて読んでいるのだと思う。
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かつてわたしは、#見るVoicy #一瞬で分かりたい といった、ラジオや記事・動画を『分かりやすく簡潔に、見てすぐ分かる』ように画像にまとめる活動をしていた。
忙しくてラジオを聞く・記事を全文読むヒマがない人のために分かりやすくまとめることが目的。
だが、最近、この活動の反応があまりよくない。
原因は
・純粋に飽きた
・内容が悪い
この2つが考えられる。
内容に関しては心当たりがいくつかある。
まとめられた画像を見てメリットを感じるときというのは
・参考資料の情報が大量・もしくは複雑な場合
・まとめ画像に熱量を感じられる場合
ではないだろうか。
わたしは「コンパクトにまとめる」ということに力を注ぎすぎて、上記の2点をないがしろにしていた。
「コンパクトに、簡潔にまとめる」と、見た人は思考停止してしまう。
そこにストーリーや想いが込められていないと、「自分」に落としこむ作業ができなくなってしまうのではないだろうか。
そう、『全てを与えることが、人のタメになるとは限らない』のだ。
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動画作成が趣味のお友達のちーさん(@igaiga115)が、最近、動画のテイストを変えた。
今まではラジオ番組を要約した内容だったのだが、最近は「ラジオ番組の予告編」のような内容になっている。
つまり、全てを与えるのではなく、続きを知りたいと思わせる内容になったのだ。
全てを与えることが、人のタメになるとは限らない。
人間は考える生き物だ。
考えることに喜びを見いだす生き物。
その喜びを奪ってしまっていたかもしれない。
よかれと思って活動していたけれど、ちょっぴり過保護になってしまっていたかもしれないなと、反省した今日この頃であります。
牧 真姫子🍙エッセイスト(@makicome1986)