
感謝、感謝って言う人は怪しいと思っていた
私のひねくれこじらせストーリーなんですけども。
生まれてこのかた数年前までずっと
「ポジティブな人は嘘くさい。
ネガティブにこそ人間味がある。」
こんなふうに思っていた。
割と真剣に。
人間誰しも「あの人嫌い」とか「あれは絶対間違ってる!!」
というような気持ちになるものだと思っていて、
それを涼しい顔で「ワタクシは何も思っていなくてよ」ってみせるのは
インチキの極みでしかない、くらいに思っていた。
黒い気持ちが無いわけは無いので
裏ではとっても怖いことを考えているはずだし
わかりやすくネガティブな人よりよっぽどタチが悪い、こわー、
って。
今となっては
この思考だった自分のほうがよっぽど怖いだろって思うけど。
ネガティブな人、文句がある人、陰がある人こそ人間らしい、
って思っていたら、当然そういう人が集まってくるわけで。
お互いネガティブでいたっていいよね、みたいな人間関係が
私の周りにはまぁまぁあった。
ネガティブとネガティブが牽制しあってるだけじゃないか
って最近は思うようになって、
まぁ、ネガティブな思考になった背景が人それぞれなので
「よくありませんよ」とは一律には言わないけど、
私はそういう気持ちから距離を置けるようになってきた。
これ、原因の一つには自己防衛みたいな気持ちが働いている。
「自分は頑張っている」「自分は正しい」ということの証明のために
他責な考え方になっていることが多い。
まわりの評価を気にしていたりとか。
自分の価値を守るために、批判や攻撃の気持ちが出てくる。
あとは、ネガティブって必ずしも他人を批判的に見ることだけじゃなくて
自分にも矛先が向いてくる。
どうせ自分はダメなんでしょ、とか、嫌われてるんでしょ、とか。
これも本当の本当にダメなヤツですよと誰かに烙印を押される前に
防衛しているのかもしれないと思う。
本当はそんなことをしなくても自分の価値はゆるがないし、
文化や価値観は多種多様なのだから、正解を求めることは意味がないけど。
必ずしも「すごいよね!素晴らしいよね!」っていう
オーバーポジティブリアクションをする必要はないって思ってるけど、
ネガティブにならなくたって、
「ふーん、いいんじゃない」とか
「そういう考え方もあるんだね」くらいに解釈したらいいかなと思うようになった。
私は「ニュートラル」「凪」の状態の良さがわかるようになったから
プラスにもマイナスにも過剰に反応する必要はないと思ってる。
そんな中で「感謝」の理解について2つ発見があった。
自分は他者に対する感謝が足りてない、感謝する余裕が持てない、と感じるとき
その人は頑張りすぎで、ゆるめなさいというサインが出ているのだと思う。
「感謝とか考える余裕ないわよ、こっちが感謝してほしいくらいよ」
というモードになっているなら、危険サイン。
そしてそれをゆるめるには、誰かからのねぎらいや評価を待つのではなく
自分で認めてあげるのが一番の特効薬ということがわかった。
もう一つは、「感謝」を見つけるということは
物事を多面的にとらえるトレーニングになるということ。
これがけっこうしっくりきて、良い発見だった。
自分に迷惑をかけてくる人に感謝を見つけるだなんて
イヤミでしかないだろって思っていたけど、
たしかに別の側面を見つけられたり、良いところを探そうともするし、
「良い面も悪い面も両方ある」って気付けると、執着が外れる気がする。
感謝に拒否反応が出るってことは
逆に感謝に執着してるってことでもあるので。
みんな適度にいいヤツで、適度に悪いヤツなんだよ~。
自分もそうだよ~。
それでいいんだよ~。
そんな感じで漂えることにも、マジ感謝。押忍。
▼「他人は変えられないけど、自分は変えられる」にモヤった話