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小説はやはり言語で読むべき、と思った

みなさんこんにちは、麻希亜です。
先日、最近NHKラジオ講座をよく聞いている
という記事を書きました。

最近はラジオ講座にもいろいろなプログラムがあります。
その中の1つに、関根麻里さんが進行する「エンジョイ・シンプル・イングリッシュ」というものがあります。

1日5分の番組で、1つ英語の物語が放送されます。
曜日によってテーマがあるのですが、金曜日は
「日本の文学を英語で聞く」という内容です。
私が初めてこの講座を聞いたときは中島敦の『山月記』最終回でした。

お恥ずかしいことに、古典文学はすごく苦手で
ほとんど読んだことがないのですが
『山月記』は高校の授業でも扱った作品ですし
中高生の頃に所属していたミュージカルの団体のオーディション課題でもあったので
珍しく、しっかり読み込んだことのある作品でした。

ただ読むのではなく
それを「演技のための教材」に使っていたこともあり
登場人物、特に虎になってしまった李朝の感情については
詳しく分析させられた記憶があります。

そんなわけで何度も読み返した作品だったのですが
最初に読んだときはほとんど意味がわからず
かなり理解に苦戦した作品でもあります。

オーディション課題であったので
よく解説をしてもらったのですが、それでやっと内容を理解できた
という感じでした。

そんな作品を英語で聞いたら、一体どうなるんだろう…?
理解できるのだろうか。
と疑問だったのですが、エンジョイ・シンプル・イングリッシュを聞いてびっくりしてしまいました。
すごく簡単なんです。
私がストーリーを知っているから、という理由ではなく
使われている単語は、基本的に中学生レベルのものなので
恐らく初めて聞く作品でも、理解できるだろう
と思う内容でした。

この時に「もしかして英語で読んだ方が、意味が分かりやすいのかしら。
日本の古典文学も、1度英語で読んでみたら
抵抗を感じなくなるだろうか。」
と思ったのですが、いや、それは違うな、と思い直しました。

英語で語られる古典文学を否定はしませんが
やはり簡単な英語に訳されることで「古典文学の良さ・面白さ」は
失われていると思います。
更に言えば、日本語の良さも失われている訳です。
当たり前ですが。

古典文学なので、作者と同じ視点になってその本を読むことは難しいと思いますが
それでも、日本語で書かれた文章を日本語で読むことで
より作者の考えや感情に近いところから、その物語を見つめられると思います。
これは「原語で読んだとき」にしか味わえないものではないでしょうか。

そしてこれは、日本語に限らず
どの言語についても言えることです。
つまり英語で書かれた文章は、英語で読んで初めて
その良さを理解できるものなのだと思います。

そう考えると、英語の作品をそのまま英語で読める能力を身に付けたい
と思ったのでした。

P.S.
今日は『檸檬』を聞きました。
これを機会にしっかり『檸檬』を青空文庫で読んだのですが
やっぱり英語では感じられない良さがありました。
こうして読む機会を与えられて良かったです。

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Makia@麻希亜
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