共感はさせるものでなくてするもの。
何かをチームで進めるとき、思いの強さは人によってばらばらだ。
思いの強い人がひっぱっていくことになるのは仕方ないところもあると思う。
それでも、できたら同じように思いを持ってほしい、同じ気持ちで進みたい、と思ったりする。
思いを伝えて、説得して、なんとかして気持ちを高めてほしい、というような人もいる。
でも、こんな熱い思いがあるのだからわかってよ!伝わってよ!っていうのは違う。
「こんなに思いを伝えているのだから、同じように思ってほしい!」
と思ってしまう気持ちはわかる。
だけど、人の気持ちを思うように動かせるものではない。
人を思うように変えられるものではない。
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思いを伝えていたら、その意図やよさなどが伝わって、共感するようになる、ということはあるだろう。
熱い思いを伝えていたら、その熱さに惹かれて共感するようになる、ということもあるだろう。
思いに共感しているほどではないけど、その人の役に立ちたいなどの思いで協力したくなる、ということもあるだろう。
共感とかは関係なく、評価や報酬のためにやるべきことをやるって人もいるし、仕事として目の前にあればやることはやる人もいる。
共感するかどうかは相手次第だし、共感する内容はずれてるかもしれないし、共感しなくても動く人は動く。
全部人によるしどう動くかはコントロールできないものだと思う。
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「共感」してもらえたら、同じように考えて行動してもらえて進めやすくなるだろうと思えるし、実際にも話がはやかったりそれぞれやることがスムーズに動いたりするだろう。
チームのみんなが同じような思いで動けるというのは理想ではあると思う。
でも、「共感する」ものであって、「共感させよう」としてさせられるものではない。
そしてそもそも、「共感する」ことが、ほんとに必要なのかどうか。
目的は、「共感」ではなくて、その結果得られると思う「それぞれが自律的に意欲的に動いてもらうこと」だったりするよね?
「自律的に意欲的に」は理想だけど「それぞれが自分がやることをやる」のでも足りなくはない。
だから、「共感させよう」みたいな、気持ちを変えさせるようなことをがんばるのでなくて、目的を果たすための伝え方などをしていけばいい。
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人に動いてもらいたいとき、相手を思うように変えたい(期待に沿って変わってほしい)と考える人も多いけど、人は自分の意思でしか変わらなくて、他人から変えられるものではない。
自分と同じように思ってほしいというのは傲慢だ。
それぞれ考え方も思いも違ってあたりまえだから、その人に合わせて動いてもらう伝え方や手段などを考えるのがいいと思う。
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