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ほんとうの原因はなんだろう?

この記事、めちゃくちゃ共感でした。

特に

「サボる人は、ずっと前からサボってます。」
「リモートワークになったら、サボり方がのびのびとするだけで、何も変わりません。」

というところや

「自分の目の前にいたら仕事してるとみなす」なんていう、めちゃくちゃ雑なことしてなかったですか?と問いただしたいところです。
リモートワークが定着しつつある今こそ、「何をもって仕事をしたとみなすのか」を明確に測るための仕組みを作る組織が増えることを祈るばかりです。

というところ。

会社にいるけど仕事していないのと、リモートワークで仕事していないのと、別に差はないはずなのに、リモートワークのときだと問題にするということにすごく違和感がある。
リモートワークのときだけ問題にするというのは、会社で時間をすごしているという状態であれば「仕事をしている」とみなしているというように感じる。成果を出すかどうかより、会社で時間を過ごすかどうかを重視しているように感じてしまう。(「会社のために時間を過ごすかどうか」でさえないはず。何も成果になることをしていないなら、会社にいるからといって会社のための時間ではないから。)

私は別に極端な成果主義ではないし、わかりやすい成果だけでなく成果として見えにくいところにも必要な作業はあると思っている。
だけど、ただ「その場にいる」ことが、仕事している、参加している、ということになるような雰囲気には反対したい。
会社内にいれば仕事をしていることになるということや、会議に出席していれば会議に参加していることになるということなど。
その場に存在していても何もしていなければいないのと変わらないし、何もしていないなら何もしていないってことだと思う。何もしていないのに仕事してることになるって変じゃない?

*

私は、サボる人が問題とは思っていない。
サボってばかりで何もしていないなら問題ではあるだろうけど、別に多少サボっていようがやるべきことやれてたら問題ないのではないかと思うし。

というか、「サボる」ってなんなんだろうね?
時間費やしていたら、中身や結果が伴わなくても「サボっていない」となるのだろうか。
就業時間内に集中していない時間があったら、成果出せていても「サボってる」というの?
めちゃくちゃがんばっても、人の50%しか成果出せない人がいたら、それは「サボる」とは言えない気がする。
ちょっとがんばったら人の200%の成果出せる人が、ちょっと気を抜いて180%の成果だったら「サボった」ってなるの?

「仕事をする」ことや「サボる」ことの定義があいまいなまま、サボらないような対策を考えよう、制度を整えよう、としているいように思えてしまう。

*

何のための管理なのか?
何のための制度なのか?

何が問題で、どう解決したくて、何を見ようとしているのか?

そういうのがあいまいなまま、なんとなく「リモートワークだから」っていうのを原因にしているのは違うのではないかと思う。
体のいい、「リモートワーク」を理由に、根本的な原因を見誤ってしまうのではないかと思う。

それはほんとうに「リモートワーク」が問題なのか?というのも含め、しっかり問題と対応を考えたいよね。
「リモートワーク」自体が、「リモートワーク」であることのみが原因であることってほとんどないのではないかと思っている。


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