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共感するって同じ意見になることじゃない。
「共感するって言ったのに、なんで賛成してくれないの?」
「わかるって言ってくれてたのに、なんで違うこと言うの?」
みたいなこと、あったりしない?
「わかってもらいたい」というのが、相手が同じ意見になるまで説得する、みたいになってたりしない?
共感って同じことを思うんでしょう?
っていう誤解があるような気がする。
わかるなら同じ意見になるでしょう?
っていう思い込みがあるような気がする。
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共感って、共感を示す言葉としてよく言われる、「わかる」という言葉そのままだと思う。
ただ、「わかる」だけ。
あなたの立場なら、あなたがそんな背景や前提で話してるなら、あなたがそんな経験をしていたりそんな価値観を持ってたりするなら、そういう意見を持っていることに納得するなぁ、ということだ。
こんな歴史や文化があるなら、こんな風に過ごしてきたのなら、こんな教えや習慣の中なら、こんな意見があるのを理解できるなぁ、ということだ。
だから、もし同じような状況にいたら同じように思うかもしれない、と感情移入はできるけど、自分が今同じ意見なのではない。
わかることと、同じかどうかは別の話。
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「わかるー!私も!」みたいなのは、「同感」なんだと思う。
同じ意見のときには、感情も理解できるから、共感もあって、ややこしいのかもしれない。
感情がわかるときには、同じ意見のときも多いから、ごっちゃになるのかもしれない。
でも、「わかる」なら「同じ意見になる」ってわけじゃない。
(もちろん、話を聞いて何か知ったり気づいたりすることで、同じ意見になることだってあるだろうけど。)
「共感する」って、「(その意見を言う)あなたの気持ちはわかるよ」なんだと思う。
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共感って同じ意見になることではないし、気持ちがわかっても同じ意見になるとは限らない。
でも、「わかる」ことから、話は進んだり広がったりできると思う。
ただ「わかる」をすっ飛ばして、同じ意見になってよ!意見を変えてよ!ってところに行ってしまうから、一緒に話すのでなくて戦いのようになったり、話し合い自体がうまくいかなくなるのではないかと思う。
まず、わかり合う、からのスタートだよね。
それぞれ「わかる」ってなってから、それでどうする?って話せるといいよね。
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