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わざわざほめなくても気づいて伝えたらいい。
「ほめてあげる」「わざわざほめようとする」のは、わざとらしくて上からに感じて、ほめられているのにほめられた感が薄くなるように思う。
だから、思ったまま感じたままにそのままほめるのがいいと思うんだけど。
「ほめる」ことがよしとされるからなのか、ほめるっていうところにこだわりすぎなんじゃないかと思ったりする。
わざわざ、ほめないととか思ってほめるのなんか違くない?
ほめなさすぎるのはどうかと思うけど、わざとらしいほめるのも微妙じゃない?
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ほめるかどうかって、別に新たに何かを見つけたりするのでなく、今見えているものをどう見ているか、どう伝えているか、っていうだけではないかと思う。
コップの水が半分入っている、というときに
「水が半分も入っている」とある部分を見るのか、
「水が半分しか入っていない」とない部分を見るのか、
というような違い。
ある部分(できている部分)の方を見たときに、それをどう表現するか、たとえば
「水を半分入れたんだね」なのか、
「水を半分も入れられたんだね」なのか、
「水半分も入れられたのいいね!」なのか、
というような違い。
ほめるのうまい人は、何かほめるところを見つけるのがうまいとかでなくて、あるものに注目していて、感じたこと(自分が見ているところ)を伝わるように伝えるのがうまいのだと思う。
ほめるの苦手な人は、ないところに注目しているのだと思うし、そこから一生懸命あるものを見ようとしたり、ほかのあるもの(できているところ)を探そうとしているような気がする。
「(水は満杯にできてないけど)満杯にする方法考えたのよかった」というような。
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ほめよう、よいところを見つけよう、とかしなくても、見たままを伝えたらいいのではないかと思う。
わざわざよく言わなくても、そのまま伝えたらいいのだと思う。
わざとらしいほめ言葉よりも、素で言われるフィードバックの方がよかったりする。
別に、ほめ言葉にしてもらわなくても、自分ががんばったり工夫したりしてるところを、気づいて伝えてくれたら、見てくれてわかってくれてるだけで嬉しくない?
ポジティブな感想がついてたりしたらなお嬉しいのは確かだけど。
よいかどうか、できたかどうか、ジャッジする前に、やったこと変わったことに気づいたらそれをフラットに伝えたらいいだけだ。
で、いいな、おもしろいな、すごいな、とかポジティブな感想が出てきたらそのまま伝えたらいい。
ほめようとかしなくても、見てたら何か変化とか気づくことがあるはずで。
どんな視点で見れるか、どう気づけるか、どんな風に伝えるか、というだけで、よいフィードバックで本音のほめ言葉になるのではないかと思う。
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