![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/66191635/rectangle_large_type_2_30cfcf2433f006d5ace82715369f889f.png?width=1200)
諦めたくないからがんばりきらないのかもしれない。
どういうときにがんばればよくて、どうしたら諦めるのがいいのか。
というのを考えてみて、諦めるって難しいなと思った。
諦めるというのは、負けを認めるような、自分にもう無理だって宣告するような気がするのかもしれない。
その後のほかの新しい可能性よりも、無理だっただめだったって部分に気持ちがいってしまう気がする。
*
諦めるべきかと迷うようなときは、ほんとはまだ諦めたくないってときだと思う。
でもできる気もしないとか難しいとか見通し悪くてがんばりきれないとか、いろんな事情で諦めた方がよいと思ってるとか。
そういう状態で諦めるしかないとしたら、諦める前に、やれる限りのことをやりたいと思う。
やれるだけやっても無理だったら、諦めがつくかもしれないから。
そう思うと、やれることがまだあるのに後回しにしたりゆるゆるとしてしまうのは、諦めたくないからなのかもしれない。
やれる限りのことをやり尽くしてもできなかった、という結果が見たくないから。
まだやれることが残っているという未来にかけたいというか。
そんな無駄な抵抗しても意味ないのに。
やれることやらなかったら、できるかもしれないという可能性が、低いところからゼロになるだけなのに。
*
でも逆にそういう風にぐずぐずためらっているのなら、諦めどきなのかもしれないな。
がんばることができるのに、まだ可能性があるのに、がんばらないでいられるってことだから。
学生時代の、勉強しなかったからできなかったけど、やればできるから!みたいなのは、テストではまぁいいけども、自分の人生には通用しない。
逃げてたらできないままだし、次やるからって機会が用意されてるわけでもない。
それなのに、やれることやらないって、諦めてるのと何が違うのか。
と書きながら、自分はどうなんだ?と思ってひやひやしている。
まだできることあるのに、言い訳してやっていないよね?
忙しい疲れたとか言ってばかりだよね?
楽にできることだけやってやったつもりになってるよね?
でもやりたいともがんばりたいとも思っているのはいる。だからといって、やる気があればいいというものでもないけども。
やらないってことはやらなくていいんじゃない?って自分につきつけつつ、そんなことないやるんだって気合いいれようかと思う。