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戦うのでなく共存したらいい。
違う意見があるとき、どれが正しいか?って話になりがちなのが不思議だなぁと思っている。
どれかひとつが正しいものだ、と思うから、同じ意見にさせたい!ってなるんじゃないかなぁと思って。
それぞれの意見があっていいじゃん?
それぞれ「そうなんだね」「わかる」で終わっていいじゃん?
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たとえば、「きのこの山」と「たけのこの里」って、どっちがおいしいのかってすごい意見分かれるけど、だからといって、自分と違う意見の方をなくすべき、どっちかに意見まとめるべき、ってならない。
なんできのこ派なのかわからない!ってたけのこ派は言うけど、自分はたけのこしか食べないだけで、きのこの人を責めるのでもなく、きのこ派にたけのこ無理に食べさせるのでもない。
それぞれ好きなのを食べるだけの話。
意見が違うまま、一緒にいられるよね。
(ネタ的にはきのこたけのこ戦争はあるけど、意見覆させたいというよりお互いが存在していることで楽しんでる前提だと思う。)
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そうは言っても、一緒に仕事するとか何かを進めるときに、意見をまとめないと進まないよ?って思うだろうと思う。
だけど、ばらばらの意見をひとつにまとめるのではないと思うわけ。
それぞれの意見がある前提で、そこからどんな意見をつくる?ってことだと思う。
それぞれの意見は持っているままでいい。ほかの人の意見を変えさせなくていい。
(結果的に誰かの意見にまとまることや、誰かの意見が変わることはある。)
たとえば、きのこ派たけのこ派がいるときに、おやつはひとつだけってなったとしても、きのこかたけのこかの2択でなく、いろんな選択肢があるじゃん?
今回はきのこでいいよ、ってなるかもしれないし、どっちもがまぁまぁ好きなアポロにしよう、かもしれないし、きのこたけのこ両方満たす「たきのこの山里」をつくっちゃったりもする。
どっちかを選ぶにせよほかのものを選ぶにせよ、きのこ派はきのこ好きなままで、たけのこ派はたけのこ好きなままで、好きなものを変えたわけじゃない。
そんな風に、それぞれの意見はそのままで、ただそのとき何かを進めるための選択肢を選ぶだけ。
同じ意見になる必要はなくて、違う意見を持ったままいていいよね?
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ひとつの意見にしないと!ってなるから、どれが正しいのか、どれがいいのか、って戦うことになる。
正しいかどうかみたいな戦いになると、勝たないと意見が否定されてなくされる気分にもなると思う。
自分の意見がとおらなくても、自分の意見が否定されたのでなく、自分の意見を変えるべきなのでなく、その場での選択肢がそうなった、ってだけだよね。
自分の意見を自分で持ってていいし、自分が否定されたんじゃない。
違う意見のままで共存できる、って前提から、すり合わせたり生み出したり一緒に話していけるといいよね。
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